ペニンシュラ・クエスチョン

瀬戸際外交といいながら、自棄になってミサイル発射、核実験と矢継ぎ早に強行する北朝鮮。日・米・韓・中・露を向こうにまわして、制裁もどこ吹く風と、一歩も引かない。引かないどころか、ますます危機を煽る。厄介きわまりない。こんな国の隣は嫌だと、抜け出したくなる。そんな構図である。思えば、02年の小泉訪朝がなければ、こんな慨嘆だけで終わっていただろう。しかし、拉致問題の解決がすべての前提となったからには、そうはいかない。覚悟の外交が求められているが、何から手を付けていいかわからない。
 「日朝平壌宣言」という小泉の野望もつゆと消えてしまった。イラク派遣の代償を払い、ブッシュを説き伏せて米朝の橋渡しをし、日朝平和条約で国交回復を図り、東アジアの平和の仕組みを自らのイニシアティブで実現する。ノーベル平和賞で、中国、韓国を見返す大舞台を考えていたに違いない。靖国参拝を断固行うサムライこそ出来る大芝居、と見得を切りたかったのだ。忘れてならないのは、そこまでの筋書きが描けたのも金大中の太陽政策があったからである。韓国が北と対峙していれば、日本はそこまで動けない。今、山崎拓が訪朝しているが、まだ夢の続きを見ているのだろうか。
 そういえば、小泉訪朝のお膳立てをした外務省の田中均も、外交戦略を描きうる人材であった。ほぼ1年前から水面下で北朝鮮のミスターXとの孤独なやり取りに耐えた。安倍とぶつかり、中川昭一を挑発して怒りを買ったが、あの二人に重用される人物は、国益を考えていないといっていい。追われるごとく遠ざけられても、見ている人は見ている。
 本題に戻そう。北朝鮮はとにかく米国が怖い。朝鮮戦争以来、この恐怖感がトラウマとなっている。韓国高官が吐き捨てるようにいう。「北朝鮮を侵略し、占領したとして、2200万人の飢えた人々を食わせる仕事など、米国に限らず一体、どの国がしたがるだろうか」。その通りで、もう余計なことをするな、と誰もが思っている。しかし、恐怖こそが人を動かすのだ。外からの恐怖に怯える軍などの保守派、内からの崩壊に怯える外交・経済関係の改革派。その葛藤のバランスの上に、金正日体制が乗っている。どちらも、過剰といえる恐怖が支配しているといっていい。
 朝鮮戦争で200万人ともいわれる死傷者を出して、北朝鮮を支えた中国に対する眼に余る態度も気にかかる。中国の開放政策を「帝国主義に屈服した変節者、背信者」と時に批判し、「社会主義は科学である」と市場改革を揶揄さえしている。恩義に厚い儒教の国とも思えない。金正日の中国訪問も回を数える。改革開放を目の当たりにして賞賛するが動かない。米国からの脅威は中国の比ではない、主体思想は外国のコピーで動かないとかいうが、天安門事件を見てしまった。改革開放のスピードをコントロールする自信がないのだ。?小平との差でもある。とにかく、中国はモデルではないと退ける。中国に経済的に呑み込まれるという恐怖、韓国に吸収される恐怖が頭をよぎるのだろう。パキスタンからの技術供与で核を持ったはいいが、あまりにも失ったものは大きい。今はむしろ、たじろいでいるのが現状であろう。
 6者協議が動き出して3年余り、体系的に知りたいと思っていた矢先に出版されたのが「ザ・ペニンシェラ・クエスチョン」(朝日新聞社刊 2500円)。朝鮮半島の課題と約す。750頁に及ぶ大部で、朝日の船橋洋一コラムニストが4年間の取材をもとに、本来の仕事を休み、1年かけて書いた。「あとがき」によると、ブルッキング研究所のプロジェクトで、国際交流基金が財政支援をしたという。オフィスの提供に留まらず、有能な研究助手が付けられた。とにかく膨大な取材量であり、そのチェックに中国、韓国、ロシア出身の助手が当たった。今春、英語版が同研究所からも出版される。アメリカのシステムの良さというしかない。
 さて、日本のザ・ペニンシュラ・クエスチョンはいかに。何か大きなものを失ってしまったような気がする。誰も、どの国も日本の薄っぺらな提案などに振り向きもしないのだ。これを再構築するのは至難の業である。

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