「ノルゲ」

佐伯一麦のことは「石の肺」(?351)で紹介したが、その後の作品となる。何となく気になって手にした。というのも、北欧旅行といいながら、ノルウェーに足を踏み入れていないのが気になっていた。そのノルウェーに、佐伯の再婚した女房が留学することになった。染色家である彼女は招待留学生として、オスロの美術工芸大学で本格的な装飾テキスタイルの勉強をするのだ。鬱病である佐伯が治療を受けている精神科医から「この病気は1人でいることが一番危ない」といわれ、のこのこ従いていくことになった。
 「ノルゲ」(講談社 2100円)は、その手記を物したという触れ込みだった。北欧のイメージが残っている内に読めば、北欧3首都を踏破したことになるかもしれない、という目論見である。
 最初の疑念は、私小説でこの分厚さ、これで売れるのか。ダラダラ続けるだけでは、とても読者を惹き続けることはできない。講談社の編集者は、作家の力量をどれだけ評価し、この作品をどう判断し、出版を決意したのか。出版不況の中で、そんな興味がまず湧いてきた。読了できるかどうか、に賭けてみる事に。
 「おれ」という一人称での平凡な語り口ながら、心地よく響いてくる。オスロは人口50万人、路面電車とバスが行き交う街。ストックホルム、ヘルシンキもそうだった。佐伯は路面電車で、コントロールに捕まり、無賃乗車で大枚な罰金を支払う経験も書き込んでいる。誰もがパスを見せるでもなく、切符をことさら買うでもなく乗車しているのが不思議だったが、コントロールという抜き打ち検査が行われているのだ。
 また、画家のムンクはこの国の生まれ。オスロにその美術館も、墓もある。「叫び」は一度見ると脳裏に焼き付いて離れない。悲鳴か、それとも恍惚の表情か、人それぞれに見える。古い教会にある墓探しも織り込んでいる。
 私生活ものぞける。離婚した妻と3人の子供に、ローンの残っているマンションを慰謝料として譲り、養育費と合わせて毎月25万円支払い続けている。生活は楽ではない。エッセイから紀行まで、注文を必死にこなし、食いつないでいる風であるが、それはさりげなく。ノルウェーの古代言語の小説「鳥」を辞書片手に読んでいるのだが、それを織り込み、得意の音楽、好きな酒、料理、精神的なアンバランスを織り交ぜて、いろんな交友を紡いでいる。素朴さが哀しみを超えて、おかしみとなり、読みつないでいくことができた。
 固定的なフアンを中心に、2万部前後というところだろうか。私小説作家として、編集者が励まし励ましてモチーフを与えているような気がする。
 さて、目を転じて、わが私生活はどうか。てんやわんやの毎日が始まっている。9月15日、長男に第3子・女の子が授かった。3歳男子と1歳女子の世話を買って出たのはいいが、半端なものではない。興味のあるものから手にして散らかし放題、食事はどうでもいいから食べてくれと、こぼそうが何しようがただ見ていることにしている。無理強いは禁物といい聞かせているが、これにも我慢の限度があり、ストレスはたまりにたまる感じだ.両親への介護を半減させて、こちらに振り向けている。ここ2週間が勝負で、あとは嫁さんの体調を見ながら、なだらかなものになればいいと算段しているのだが。
 ところで、安倍晋三よ、聞いているか。慶応病院の居心地はどうか。君にはその方が似合っている。どこかで見たような風景を、今度も見せてもらった。「全身全霊をかけて」との所信表明のあとの政権放棄。哀れさえ覚えるが、君がNHK職員にむかって、従軍慰安婦番組に居丈高に介入したことだけは絶対に許すことはできない。
 孫娘がむずかっている。今日はここまで。

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