ホテルニューオータニでの顛末

「甲田です。お会いできることを楽しみにしておりました」「甲田です。はじめまして。図々しく押しかけまして恐縮です」。相手はホテルニューオータニ代表取締役甲田浩さん。

東京オリンピックだから1964年に新規に参入した後発のニューオータニを、帝国、オークラと並ぶホテル御三家に引き上げた人である。同姓で名刺を交換するのは初めて。何とも不思議な感じである。こちらの甲田家は、三重の出身、東京下町に江戸初期に移り住み代々米屋を営む旧家。人品骨柄は雲泥の差。ご存知創業は大谷米太郎。相撲取りからのスタート。一代で巨富の築いた富山県出身の立志伝の人。

というわけでその日はこのニューオータニに泊まることに。何と2万5千円也、いやこれに税金にサービス料だ。これでサービス価格かよと思うが、ここで引くわけにはいかない。何といっても同姓のプライドが許さない。待てよ、彼はひょっとして伝票も見るかもしれない。例え彼が見なくても、会計のものが。この客は代表取締役の紹介の宿泊客と知って「何だやっぱり富山の田舎者の甲田だ」と軽蔑するかもしれない。さすれば、食事はコンビニで買い込んでと思ったが、そういうわけにはいかない。やはり館内のレストランだ。庭園に下りて、和風鉄板焼きレストランへ。ウエイターが全身笑顔という感じでやってくる。ここは威厳だ、びびるな。ご注文は、ときた。メニューを見ながら、何かお勧めはあるか、と鷹揚に。はい、フォアグラが人気です。あの三大珍味の、チクショウ高いだろうな、しかし富山の甲田だ、ここで引き下がるわけにはいかない。それを頼む、あと魚と野菜ものを。お飲み物は?とりあえずビールをもらおうか、そのあとに赤ワインを。もうやけくそである。焼き手がはいってきて、おもむろに焼き始める。黙っていればいいものをつい、お宅の甲田さんと同姓でね。そうですか、と尊敬した顔でまじまじと見てくれるかと思ったら、こいつは真面目一方と見えて、視線は鉄板から眼を話さない。所在なげに、隣のテーブルで、多分商社マンが外人を接待しているのだろうとちらと眼をやりながら、マナーに気を付けて黙々と。デザートは?ときた。コーヒーでも1500円はするだろうなと思いつつ、最後で威厳を崩してはいままでの努力が水の泡と、ほしくも無いコーヒーを。合計額を見ずにサインで済ます。ここが気の弱いところ。部屋に帰るとどっと疲れが出た感じだ。さすがにバスローブがある。しかし部屋も汚く使うわけにはいかない。上客とはほとんど泊まったという痕跡をとどめないものだ。トイレットペーパーは使った後も三角おりにしてと。待て待て、ここで変な有料チャンネルも記録が残るから入れるわけにはいかない。会計が告げ口するかも。とうわけで朝チェックアウトまで疲れること疲れること。締めて6万円近いものに。甲田さん、罪なことをしてくれるね、とつい愚痴が。

考えてみると、長野県知事田中康夫は、あのペログリ日記時代、パークハイアットホテルをわがもの顔に使っていたのだ。しかも同伴で。ということは10万を超えるものをほぼ毎日。何と悔しいことか。いやうらやましいことか。

ホテルを終生住まいとした岡本太郎、淀川長治などはやはり尊敬する。家を持たない、これは立派な哲学だ。立山山麓をこよなく愛したシモンゴールドベルグ夫妻が、立山国際ホテルを借り切っていたが、それが多分年間500万程度と聞いたことがある。はてさて小生の場合はやはり特養老人ホーム・ホテルか。例えば、宇奈月オラハウスぐらいなら何とかなるかもしれない。グルメエロ呆け老人とさげすまれるのかな。ちょっと哀しいけど止むをえまい。自業自得。

いやここで怖じ気づいては末代までの恥。よし次なる挑戦はパークハイアットに、リッツカールトン、そして仕上げはフォーシーズンズだ。もちろん康っチャン同様、同伴するぞ。

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