Tへの手紙。されどわが青春

久しぶりに親友のTに手紙を書いた。いつも俺に先立って挑戦し、人生の辛酸をなめ、その都度何でもなかったかのように俺の前に現れる。中1の時火災に遭い自宅が全焼、それからまもなく心臓弁膜症のきれいな母親を失っている。ちょっとした試練で落ち込んだ時は、Tに比ぶれば何のこれしき、と自らを鼓舞してきた。新湊小学校の同窓。他のみんなは「のぶちゃん」と呼んだが、俺は絶対にそう呼ばなかった。みんなからすれば見上げる存在だが、俺にとってはライバル。口が裂けてもいうわけにはいかない。昨日、三男が私大受験のために上京した。それで思い出したのだ。あの事件。夜行列車で上京した二人は、朝5時とあまりに早かったので皇居を見ることにした。元の警視庁の前から道路を横断する時だ。Tは先を歩んでいた。その時左から猛スピードでトラックがやってきた。その瞬間Tの姿が消えたのである。てっきり引き裂かれたかと思った。恐る恐る眼をあげると、道路の向こう側に滑り込んでいるT。学生ズボンは擦り切れていた。いまでもこの時のことを思うと戦慄が走る。初めての上京での厳しい洗礼であった。二人は新宿区柏木4丁目のアパートに当分一緒に住むことにした。淀橋青果市場のそば。大家は森山多美といい、ドストエフスキーの罪と罰に出てくる金貸し婆さんそっくりの守銭奴。なんやかやと口うるさく、何でも請求してきた。東京人の嫌らしさに辟易した。

Tは予備校、俺は国立に落ちて不本意な私大。そんな環境でも、はじめてたばこを吸い、ビールを口にし、パチンコに遊び、石原慎太郎の「青年の樹」に小説の面白さを語り、東京の初めてを楽しんだ。それからTは高円寺に。3畳で3000円の下宿だ。布団袋を二人で担いで中央線に乗り込んでの引越しであった。翌年同じ私大の文学部に入学する事になる。そして革マルの闘士に。小心翼翼と大胆不敵。この差は今に続く。留置場経験もたびたび。何の前触れも無く俺の下宿に現れて、2~3日していなくなる。もちろん大学は中退。一時期親父の後を継いで漁師になるといっていたが、活動を一緒にしていた彼女と結婚。彼女の郷里の神戸で、不動産業という似つかわしくない職業についた。バブルの時に大きく成長したらしいが、先日の電話では大のピンチといっていた。Tは乗り切るだろう。小学校卒業時の寄せ書きに、闘志と書いた男である。

二人とも、それぞれにあと少しの思いもあるが、もう十分に生きてきたようにも思う。男というのはどうも不器用でいけない。話す事は山ほどあるのだが、口にしてしまうと、つまらない事をいっているなと思えて来て続かなくなる。2時間も飲めば、それじゃお互い達者でなと終わってしまう。一度だけ、北池袋の下宿で夜を徹して話した事がある。Tが小学校から惚れていたKについてだ。Kは家庭が貧しかったこともあり、詩もものする早熟さがそうしたのか、高校卒業するとまもなく結婚した。それを聞いたTは駆け落ちを真剣に考えたという。俺はヴァイオリンのUの事を話した。Uは映画「ノンちゃん雲にのる」で主演した鰐淵晴子に似た可愛い子であった。青春とは、みんな額縁にはいってよくみえるものなの。おっと、これはKの詩の一節だった。Kはその後離婚したが、いい再婚相手が見つかり、これからゆっくりとした人生を楽しむとの賀状が届いたのは数年前。

ところで、わが三男坊にも、豊かな青春が待ち受けているのでだろうか。そうであればいいが。

寒卵振り向きもせず子が発ちぬ(拙句)

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