三浦哲郎の歳月

東北の小さな温泉宿で、若い男女が結ばれる。寒い夜は何にもまとわない方が温かいのだと声をかける「私」に、志乃は素直にしたがって、白い身体を蒲団にすべらせる。こんな書きぶりに、胸をとどろかせていた青春の日々があった。
 三浦哲郎が「忍ぶ川」で芥川賞を受賞し、時おかずに「初夜」を書いている。昭和36年のことで、その3年後に東京での学生生活が始まり、手始めには格好の小説であった。再び三浦の小説を手にしたのは、それから30年後の「夜の哀しみ」上下巻である。日本経済新聞に1年かけて連載されたもので、日経読者とっては似つかわしくない選択であったように思う。三浦は1日1回分と決めて、今の自分の最良の文章と念じながら、食事時以外のすべての時間を執筆に充てた。
東北の寒村に住む35歳の主婦・登世が主人公である。登世には淫乱の予感が宿っていた。夫が出稼ぎに出ている間に、子宮体がんを患う友人の夫と不倫関係になり、何とその濡れ場を小学校6年の息子に見られてしまう。その息子に脅されるように高級なサッカー用具を買わされ、母と子の埋め難い不信がぎこちない日常で続く。その脅しが執拗を極めるようになり、もう耐えられないと思った時に、息子を絞め殺し、自分も入水自殺をほのめかす結末となっている。
 「忍ぶ川」もそうだが、三浦は書くことで、自らの“血の汚れ”と向き合ってきた。昭和6年、青森・八戸生まれ。生家は呉服屋。6人兄弟の末っ子だが、6歳の時に次姉が津軽海峡で連絡船から身を投げ、後を追うように、長兄と次兄が失踪し、その間に長姉が服毒自殺している。自分にも同じ血が流れているのではないかという恐怖との戦いである。「私は、自分の血に亡ぼされるのはまっぴらである」。そんな思いが作品の底流となっている。
 その三浦は現在79歳。10年ほど前に軽い脳梗塞をわずらい、右半身が不自由となっている。小説は書いていないが月刊「オール読物」の巻末に欠かさず随筆を書き続け、このほど「おふくろの夜回り」(文藝春秋刊)を出した。子供たちの悲惨を引き受けざるを得なかった母は91歳で逝く。冬の夜、母は夜具に入り込む寒気を追い出すために、家族の寝室を回って蒲団を掌で軽くたたいてやっていた。それを晩年まで続けていたのだ。その母の切なさを思いやっている。
 この3月に10歳上の姉を亡くした。生まれつき弱視の障害があったが、琴の教室を開いて子どもたちに教えていた。孤独死であるが、炊飯器に翌日の米がはいっていたことで生きる強い意思を感じとっている。これで兄姉5人のすべてを失ったことになるが、最後に残ったこの姉を小説に書きたいという。血を克服して生き切ったひとりの女性。この創作意欲が三浦を再びよみがえらすかも知れない。
 井上ひさし・お別れの会での丸谷才一の弔辞が評判となっている。井上ひさしは小林多喜二を受け継ぐプロレタリア文学の継承者であり、私小説は大江健三郎、芸術派は村上春樹で、日本文学の現在を「三派鼎立」と喝破した圧巻の弔辞であったという。もちろん三浦は自伝的私小説に分類されることになるが、東北という風土とそれが育んだ人間と深くつながっている。
 さて、この暑さである。クーラー無しを頑なに守っているが、アイスノンとかいう枕を姉から譲り受け、これでしのいでいる。食欲も衰えてはいない。しかしどういうわけか、酒が進まなくなった。呑まないと寝むれないというのは、擦り込まれた錯覚に過ぎなかったということになる。こんな勘違いで、どれほど人生の時間を無駄にしてきたことか、今更ながら後悔している。
 また、介護保険被保険者証が届き、65歳から介護保険料は健康保険料とは別に富山市に直接納めていただきますと、高齢者入りを突きつけられた。あと10年以内と思い定めているが、定まらない気分でもある。

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