時にはナイフを、尊厳を賭けて

先生が生徒Nにナイフを渡すと、教室のみんなに向けてこう話し掛けた。「先生はNにナイフを渡した。人間には決して犯されてはならない尊厳というものがある。その尊厳というものが犯され、傷つけられ、もう耐え切れないと思った時は、このナイフを使いなさい。君をいじめた者を、君の尊厳を犯した者を、君を傷つけた者を、このナイフで切り倒してもいいんだ。そのときNはこの社会では犯罪者となる。Nの家族もまた犯罪者として社会から厳しく糾弾されるだろう。しかし先生はその時、君の前に立ち塞がるよ。本当の犯罪者はぼくなのだってね。ぼくは真犯人だ。だからぼくを裁いてくれって。ぼくは先生を馘首になる。そして監獄に投げ込まれるかもしれない。それでも勇気をふるって、Nにこのナイフを渡す。」「みんな、いいかい。Nがナイフを持っていることを忘れてはいけない。イジメというのは、肉体を傷つける暴力だけではないぞ。もっと違った暴力がある。臭いとか、微菌がきたとかいって仲間外れにする。上履きや体操着を隠したり、ランドセルをごみ捨て場に投げ込んだり、死ね死ねとその子の机の上にマジックで書いたり、お葬式ごっこをはじめたり。それもまた暴力だ。それもまた人間の尊厳を傷つける、許すことの出来ない暴力だ。子供たちのイジメがどんどん深くなり、複雑になり、陰険になっている。これは君たちだけの責任ではない。イジメがどんどん複雑になり、陰険になっていくのは、社会や大人たちの反映なんだ。日本と日本人が、どんなに腐敗し、病んでいるかということを語っている。ぼくたちの国はいま瀕死の中にある。だからこそ勇気が必要だと思う。先生はNにナイフを預けるよ。それは君たちにあずける希望というナイフだ。」1512 小学5年生のクラス。学級崩壊から教室を回復するには、これくらいの覚悟がいるのである。ずいぶん長い引用になったが、季刊雑誌「ひとりから」13号に始まった連載小説「ゲルニカの旗」の一節。著者は高尾五郎。申し訳ないがはじめて聞く作家である。商業誌であれば、原稿1枚2万円と自負し、なぜボランティアで引きうけたのかといえば、編集者・原田奈翁雄、金住典子の誠実と「ひとりから」が生命力溢れる雑誌に成長してほしいからだという。態度はでかいが、筆力は確からしい。ちょっと眼を通すつもりが引き込まれてしまった。これは小説であるが、現実もそれほどの違いはないと思う。威張り散らすだけの暴力教師、偏見と差別から真に解放されていない教師、人間的に未成熟な教師などは、一度メッキが剥がれるとどうしようもない状態になっていくのだろう。さりとて教職だけを聖職とするのも絶対に間違っている。隣のあんちゃんや、ねえちゃんが教職に就いても、社会システムで守っていける、維持していけることが大事だ。複数担任制や、補助教員を雇用を広げる意味でも緊急にするという話はどうなったのであろうか。1512 本来であれば、土日にかけて、こまつ座公演「国語元年」を見に行きたいと思っていたが、送別会で痛飲してダウン、諦めてしまった。送別会というのは、どんな話をしても嘘っぽくなってしまう。結局はどれほど飲んでやるかが誠実のバロメーター。それが男よ。男のつらさよ、というわけに。1512 ところで、森の夢市民大学がスタートを切った。3月17日が開講記念プレシンポジウム。この地域の人たちも捨てたものではない。終了後、受講申し込みに列を成したのだ。本来であれば、日程、講師の陣容が決まり、正式な受講申し込み書が出来てからなのに。それが何と106人が1万円を添えて申し込んだのである。即座に1万円がきょうび出せるものだろうか。何ともうれしい誤算。胸が熱くなった。

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