「裏切られた革命」とはトロッキーが、スターリンによってソ連が社会主義とは似ても似つかないものに変質していくのを糾弾したものだが、北朝鮮はこのスターリンによって作られた国家といえる。圧倒的な暴力装置を握って、ギラギラした猜疑心と密告こそが忠誠心という監視装置を張り巡らし、思考回路が全く想像できない独裁的な権力の前で、踊らされるように歴史が展開していく。どっちに転ぼうと粛清という非情酷薄な運命が待ち受けている。スターリンの政治手法は、小粒ながら金日成に踏襲され、北朝鮮現代史はそれをなぞるように、現在進行形である。
ロシア史にも通じる和田春樹が14年前に上梓した「北朝鮮。遊撃隊国家の現在」を見間違えていたとして、改めて書いたのが「北朝鮮現代史」(岩波新書)。金正日の訃報を聞き、ある種の予見が確信めいて記されている。北朝鮮は内部情報を完全に秘匿することに成功した例外的な国家であり、それを読み解いていくのは至難なことである。謎解きに近い。まず、歴史的に考える。ついで「モデル分析」手法だが、日本天皇制の国体維持思想と北朝鮮のチュチュ(主体)の類似性に着目するとか、社会主義と儒教的伝統の共鳴から首領制を類推する。和田は遊撃隊国家から正規軍国家へ、そして党国家体制にそのモデルを見いだし、資料の空白部分を推定した。もちろんソ連・東欧の国家社会主義体制との比較研究、指導者の系列、派閥、人事異動への注目、もれてくる内部情報の活用も併用する。しかし、東大のみで過ごし、岩波を中心に著す正統派歴史学者の正統ゆえの物足りなさを感じざるを得ない。
さて、その現代史だが、金日成の満州抗日武装闘争から始まる。37年普天堡での駐在所襲撃、40年前田部隊140人を全滅させた戦果が、金日成を反日英雄へと押し上げた。45年8月9日のソ連の対日宣戦布告だが、その前に朝鮮占領統治をイメージするスターリンが自分の意を汲んで働く朝鮮の共産主義者の中心人物はどんな男か、モスクワに呼びつけて面接している。31歳の若き指導者の誕生である。クレムリンの奥で繰り広げられる生死を分ける暗闘を垣間見て、それを自ら実践していく悲劇の誕生でもある。
こんな説もあることを紹介しておきたい。75年に三一書房から出版された「嘆きの朝鮮革命」で、金日成に粛清された不屈の闘士・朴憲永を尊敬するバック・カップ・トンが書いている。ホンモノの金日成は苛烈な抗日戦で亡くなっており、朝鮮革命とは無縁で、ソ連のゲ・ペ・ウとその親玉のベリア一派によって、金日成の名をかたって、平壌に派遣され政権を握り、朝鮮の本来の革命家たちを一掃して、朝鮮の民族分裂と内戦と混乱を持ち込んだというもの。隆慶一郎の「影武者徳川家康」を彷彿とさせるが、神話で彩られたものを覆すことは無用な混乱を起こすだけであり、この検証はあと半世紀を待たなければならないだろう。
日本敗戦で祖国解放独立に沸く朝鮮だが、南北にとりあえず分断統治されたレベルから統一臨時政府をどう作っていくかでまとまらない。やむなく国連決議で総選挙を行なうことを決めたが、南朝鮮だけが先行しておこない、北は空席とする案という段階で、4・3済州島での悲劇を生む。それでも強行されて、全朝鮮を版図とする大韓民国が成立する。そして翌月には、これまた全朝鮮を領土とする朝鮮民主主義人民共和国が成立する。48年のことである。翌年には中華人民共和国が成立し、共産主義陣営の躍進が際立ってくる。
それに乗ずるように50年6月25日、スターリン、毛沢東の了解を得た北朝鮮軍が38度線を超えて、同一民族が血を血で洗う朝鮮戦争が勃発する。300万人が犠牲になったといわれる。金日成は軍事的には失敗したが、政治的には成功した。朴憲永などのライバルを、アメリカのスパイであったとして断罪、死刑にして、その独裁的な地位を確立したからである。
一読して、もっと冷静に半島情勢をみていかなければならないと痛感した。当然南北統一を視野にいれて、だ。
「北朝鮮現代史」