医者の往診が復活しそうだ。在宅療養支援診療所なるものが、4月からの医療保険制度改革でスタートした。24時間呼び出しに応じますとの明示が義務付けられている。その皮切りといっていいのが東京・荒川区北千住・柳原にある柳原ホームケア診療所だろう。地域全体が病院であり、病室と見立てている。
そこの所長である川人明医師は往診・在宅医療を20余年続けている。180人の患者を7人の医師で診ているが、患者はほぼ寝たきりに近い老人達だ。毎月4~5人が亡くなり、2人程度が入院し、施設に入るという。7~8人が新規患者となるが、初診は必ず川人がやり、1時間かけてゆっくり診て、聞き出し、ゆっくり説明する。往診学の肝心なところだ。患者と家族との信頼関係を最重視しなければならない。病院では「治癒・軽快」だが、在宅医療チームの最終目標は「安らかな死」だ。それは敗北ではなくゴールである。在宅ターミナルケアの実践の場といっていいかもしれない。自分の家で死ぬ、これは家族には大変だが、本人にとっては最高の死に場所といっていい。
ターミナルケアの主役は医師よりも看護師だ。ここの訪問看護ステーションの奮闘ぶりは凄い。胆嚢ガン末期、47歳の女性の例だ。短くても、最期は買ったばかりの新居ですごしたい、が希望だった。側腹部にはPTCDチューブ、胃の部分にもかなり太いチューブ、イレウス管が突き刺さるように入っている。腹部中央には人工肛門に装着する袋が付けられていて、血液交じりの浸出物がある。そんな状態だったが、引き受けた。在宅医療のパイオニアの名前が泣くという心意気である。夜間巡回を含め、毎日4回訪問でケアをした。安らかなゴールである。
この診療所で何より評価したいのは、自然な死を選んでいること。多くの動物は食い物が食べられなくなったら、命の継続は困難だと悟っている。誤解を恐れずいえば、500mlの輸液を3日間やって改善しなければ、手抜き輸液で、きれいな死に誘ってくれる。大胆にモルヒネ、ステロイドを使って、痛みから解放し、死の寸前まで生活の質改善の努力をしてくれる。それでどこがおかしい、といえるのは、日常的に在宅死の修羅場を見てきたという自負ともいえる。
さて、療養型ベッドの大幅削減が決定し、在宅へと誘導するが、高齢難民が増大するのは間違いない。往診の復活は、その受け皿づくりの一環だ。診療点数も10~15%と大幅にアップした。この診療所も、スタート時は悪戦苦闘だった。柳原病院として往診をしていたが、病院の在宅支援は好ましくないと、診療点数を低かった。赤字でお荷物になっていた。それでは、とホームケア部分を独立させたのである。覚束ないスタートであったが、今では病院は赤字に転落し、ホームケアが稼ぎ頭となって病院の赤字をカバーしている。といっても患者の負担が、無料から定額へ、更に定率となって、1回の往診料の自己負担はざっと6000円から1万円を超すようになった。荒川区の下町では、この負担に耐えられない高齢者も多い。疼くような痛みでもある。
この川人医師と看護ステーションの小菅紀子看護師の講演会が6日、砺波市医師会の主催で行われた。実にタイムリーな企画といえる。ニチマ倶楽部での昼食も楽しみで、参加した。
不思議に思えたのが、川人医師の学歴だ。最難関の東大理科?類卒である。理?の定員は何と90名なのだ。1947年生まれの団塊世代、人数が最も多い中での合格だけに価値がある。しかし、同窓が最先端医療に携わっているのに、町医者の誇りを胸に東京の下町を走り回っている価値の方がずっと高いのはいうまでもない。
往診の医者が増えるかもしれないが、先端医療器具なしでの診察である。何より人間性が問われる。自分もここまでくれば、高齢認知独居老人での在宅死という選択である。いい医者、いい看護師に巡りあいたいものだ。
参照・「自宅で死にたい」川人 明著 祥伝社新書。
自宅で死ぬということ。