青空

「人生は長いんだ。俺は挑戦する」。その男は、久しぶりに集まった高校サッカー仲間の呑み会でいい放った。見渡すと、サッカー現役は彼ひとりである。全国高校サッカー選手権大会に出場してから6年。彼は東京6大学サッカー部の正選手で活躍、YKKAPに移り出場機会に恵まれなかったが、いつかはレギュラーに、と努力を怠らなかった。しかし昨年末、突然降って湧いたような話で、チームはアローズ北陸と統合して「カターレ富山」の発足となった。親会社であるYKKも、北陸電力も将来チームを持ちきれないという判断をしたのである。2チームが1チームになるのだから、当然リストラである。彼は選にもれた。とにかく悔しかった。最初の挫折でもある。このままでは終われない、そんな思いが溢れ出てきた。それからである。あらゆる情報を探りながら、自らを採用してくれるチームを求め、全国を訪ね歩いている。
 「ずい分と遠くへ来たものだと・・・昨今です」。そんな1枚の賀状を重ね合わせている。これはわが同年の62歳。捨て切れない思いを抱きつつ、取り敢えずという選択を繰り返してきた。周囲から見ると一徹である。その潜在的な才能からして、別の生き方もあったのではと思うこともあった。しかしよく考えてみると、意外に彼らしい人生と思えてくるから、不思議なものである。高校時代の栄光も、いつしか世間は忘れ去っている。もう富山には墓参ぐらいで、名ばかりの故郷である。特にその子供たちは富山2世ではなく、生粋都会人だ。多くの人間に囲まれながらも、無名を通すことができる気安さに安住しているといっていいかもしれない。「ああ、上野駅」世代の終着駅ともいえる。
 元サッカー部の呑み会は続く。母子家庭であった男は、すぐに就職。引越し大手の中堅となっている。徹夜が続いても平気という、持ち前のスタミナが生きている。こんな仕事でよかったら採用してやるよ、と笑顔で話す。全国大会出場に際しての寄付集めで、気丈な母は必死に集めてくれた。新居が視野に入りつつあるというから、うれしい。福祉を目指していた男は一転、仲畑広告制作所に仕事を得た。文字通り「みんな悩んで大きくなった」になれるかどうか。映像を得意としているらしいが、広告の基本はコピー。コピーライター修業の辛さは今から始まる。学業成績もトップであった男は、小学校の教師となっている。手堅い彼らしい選択である。誰が見ているか分からないから、大声で教師と呼ぶな、と早くも公務員顔となった。新潟のサッカーカレッジに進んだ男は1年で挫折。その後簿記専門学校で学びなおし、大手金属メーカーに職を得て、地元クラブチームでサッカーを楽しむ日々である。5年間付き合った彼女から振られてしまったらしいが、すぐに新しい彼女をゲットしたらしい。商売が大好きという男は、将来の独立のために大手チェーン・ジャックコーポレーションの店頭に立つ毎日である。接客、商品の入れ替えなどで深夜まで働く。自分の店を持つという夢は真っ直ぐだ。
 「年明け早々に1カ月の海外出張に行ってきます。アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドです」。東大を卒業して国立のシンクタンクに勤務する30代女性からの賀状である。ノンエリートとエリートの落差といえばいえるのかもしれない。しかし、挑戦するといい続けている間は大した落差ではない、
 それぞれが持つ青空がある。01年11月4日高岡スポーツコアから見上げたのが、彼らサッカー部の青空だ。誰が見てもいい青空だった。それだけで生きていけるといっていい。誰しも小さな青空であっても、それを抱えながら、ちょっと違うなと思いつつ生きていっている。小さな積み重ねがあってこその人生の深みだ。焦ることはない。
 さて、わが風邪は何とか終息したが、続いての異変だ。長男の生後3ヶ月の第3子が風邪をこじらせ、肺炎の危機があると中央病院に入院した。わが家は上の二人の大きな遊び場と化した。てんやわんやも度が過ぎると、あきらめの境地である。小児病棟の劣悪さは目に余る。富山県立こども病院の設立をぜひ、呼びかけたい。
 そうだ、新年のあいさつをも忘れていた。あけましておめでとうございます。ことしはやります。そう宣言せざるを得ない年になりそうです。

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