ぶらり神保町

数年ぶりに東京・神田神保町を歩いた。5月20日の午後である。交差点にある岩波ホールの映画看板を見て、信山社に入る。この書店で硬派本の品定めをするのが気に入っている。早速、鼻がうごめく。堤純子著「アーミッシュ」。版元が「未知谷」とあるが聞きなれない。先日、砺波総合病院で研修医をしている女医の卵と雑談した時に、アーミッシュが話題になった。歯科医から転じた子だが、実に頭の回転が速く、あらゆる話題についてくる。この1冊は彼女に贈ろうかと思ったりする。原子力関連も平台いっぱいに揃えているが、柳澤桂子著「いのちと放射能」(筑摩書房刊)を手に取る。星のかけらに住む人類がDNAで紡いできた命の連鎖に放射能はどれほどダメージを与えるか。病床にある生命科学者の精一杯の息遣いが聞こえてくる。「それでも人生にイエスと言う」(春秋社刊)も精神科が注目される中で、アウシュビッツを生き抜いたフランクルの復権となって再版されている。この3冊を購入する。
 ちょっと疲れたので、救世軍本営の前にあるカフェテラスでコーヒーを飲む。足早に歩いていく人間を眺めながら、それぞれに悩みを持ちながら生きているのだろうな、と傍観者的な発想になってしまうのだが、いい気分である。
 約束の時間までにはまだ時間がある。靖国通りを専大前に向かって歩くと、@ワンダーという古本屋は、外の壁面にも古本を陳列している。雨を凌ぐカーテンも付いていて意欲が前面に出ているのがいい。眺めていると何と、池田弥三郎著「魚津だより」(毎日新聞社刊)が目に飛び込んできた。付いている値段が300円。懐かしくて、うれしくて、お前さんどんな旅をしてこの本屋に流れ着いたのか、と声を掛けていた。手に取ると、池田門下の専任講師3人組、友尾豊、春日利比古、辰沢速夫の名前が出てくる。魚津に赴任するきっかけとなった森為可(ためよし)慶応大学工学部長との新幹線での偶然の出会いも、今更ながら笑いが込み上げてくる。「うちの学校で国文学をやるから、手を貸してくれ」「ああ、やりますよ」と返事をしたのが事の始まりで、それがまさか魚津の洗足学園とは全く知らなかったのである。これを引き受けた江戸っ子の心意気、おっちょこちょいさこそ、弥三郎の真骨頂だ。人生かくあるべし。家の書棚にあるのだが、この300円での1冊は数十倍、いや数百倍の価値ある買い物と押しいただくように手にしたのである。
 しばらく歩くと問題の芳賀書店だ。18歳以下の人は入店お断りで、店の中は見せない。どんな客がいるのか、という興味で覗いてみる。これほどあるのか、と思われるほどのエロDVDが棚一杯だ。むせ返るような雰囲気の中を、背広にネクタイの40代が熱心に物色している。見えないものにすがりつく侘しさを感じた。
 そろそろだと思って、時間を確認して急ぐ。相手は旧知の歳川隆雄・政治評論家で、老人を知っている人間に会ったとハガキが届き、それではと出張の機会に会うことにしたのである。彼の事務所はここから程近い。しかし、65歳にして出張というのもいいものである。同業である岩江クリニックの祝賀パーティに出席という目的だが、出張こそ創造の源泉と信じている。ということで、専大前交差点脇の喫茶店で、久方ぶりに歳川節で最新の政治の見方を教えてもらった。マスコミ界の動向にも変な動きがあることも。
 その日の毎日新聞夕刊のコラムだが、作家・黒井千次の言葉にしみじみと感じ入った。「生きている途中で終わりが来る。だから、そんなこと(行き止まり)考えていても意味がありません。全部途中なんだ、と私は思っている」。旅先の新鮮さが感受性を豊かにすることは間違いない。

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