「パンとペン」

例年楽しみにしている月刊「みすず」の読書アンケート特集で、心もちが休まった。世相に阿(おもね)ない学究の徒の息吹きを感じるからである。知性溢れるオアシスといっていい。その中で最も多く読まれていたのが、黒岩比佐子の「パンとペン 社会主義者・堺利彦と売文社の闘い」だった。
 その黒岩のあとがきである。「あとひと息というところで、膵臓がんを宣告されるという思いがけない事態になった。しかも、すでに周囲に転移している状況」「死というものに現実に直面したことで、冬の時代の社会主義者たちの命がけの闘いが初めて実感できた気がする。いまは全力を出し切ったという清々しい気持ちでいっぱいだ」「堺利彦のようにユーモアを忘れず、楽天囚人ならぬ“楽天患者”として生きることで、きっと乗り越えていけるだろうと信じている」。刊行したのが10年7月、その4ヶ月後の11月17日亡くなっている。まだ書きたいことがある、といい遺しての52歳だった。慶大文学部を出て、ユーピーユーに職を得ていることも親近感だ。ユーピーユーはリクルートに伍して、地方のタウン誌と連携して採用ビジネスに乗り出していた。江副に若者連合で挑んだのだが、敗れ散っている。
 さて、「パンとペン」だが、暢達な筆致で描いた“もうひとつの忠臣蔵”と評されている。いい得て妙だ。堺の行動は、大逆事件で殺された親友の幸徳秋水らに対する深い慙愧であり、罪滅ぼしにもみえる。大逆事件の起きた10年には、堺は赤旗事件で有罪となり獄中にいて、連座を免れたのだ。生き残ったという恥じる思いが堺を駆り立てている。処刑された12人の遺体引取り、葬儀をものものしい警戒の中を敢然と一人で担って、落合火葬場では妻の為子が骨を拾った。「行春の若葉の底に生残る」と幸徳秋水の墓の前で詠んでいる。
 社会主義者にとっての冬に時代の到来でもある。しかし家族あるものもいるので、とにかく食わねばならない。売文社の創業をすぐに思い立つ。「ペンとパンの交叉は即ち私共が生活の象徴であります。私共は未だかって世間の文人に依って企てられなかった商売の内容を茲に御披露するの光栄を擔(にな)います」。これが10年の大晦日に東京朝日新聞に掲載した広告文である。英、独、仏、露、伊、漢等、一切外国文の翻訳並びに立案、代作なども引き受けると営業案内は多岐にわたっている。食い詰めて駆けつける人材は豊富だった。関東大震災の甘粕事件で殺された大杉栄もそうで、「一犯一語」と称して入獄するごとに一つの外国語をマスターして、7ヶ国語を操る語学の天才でもあった。荒畑寒村も憔悴の状態で売文社に駆け込んでいる。思えばユーピーユーも学生運動家の売文社であったように思う。
 社会主義者の商才と侮るなかれ。人生劇場を書いた尾崎士郎が20歳前後を売文社で過ごし、これをモデルに幾つも書いている。わが国初の情報エージェンシーにして、梁山泊でもあったのだ。ほぼ10年続いたのだが、大石内蔵助たる堺利彦の長い忍苦に、若い四十七士が耐えられなくなってきた。いつまでもパンではなかろう、本格的に社会主義に妥協なく進むべきではないか、という論である。行く手の思想もハッキリしないが、若者の性急さはそれを許さない。堺への誹謗中傷も始まり、解散となる。
 堺利彦の62年の生涯で何をみるか。売文社というキーワードを見つけて、暢達な筆致というのは伸びやかなという意だが、書き急ぐこともなく、語りかけるように描いているのはやはり才能であろう。惜しい才能をなくした事になる。
 戦後、劇団民藝が木下順二作、宇野重吉演出で「冬の時代」を公演している。売文社が舞台になって、堺は滝沢修、大杉を鈴木瑞穂、荒畑を芦田伸介が演じているのだが、いま一度見たいものである。
 パンのみで生きるにあらず、か。それも年金というパンといわれるとつらい。

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