整髪料余談

 最近の朝は整髪料を使うかどうか、で始まる。外出予定のある時は、洗顔前にヘアーリキッドを少量刷り込んでいる。心なし白髪が目立たなくなるが、気にしているわけではない。予定のない時はそのままで済ます。数年前に皮膚科の医者が、老人は石鹸でゴシゴシ洗う必要はなく、入浴もお湯でさっと流すだけでいいと忠告したので、その通りやっている。現役の時は、トニックの後にリキッドを撫でつけて、ドライヤーを使っていたのだが、何だか懐かしい。ふと、いつ頃から整髪料を使う習慣が身についたのか、思い起こしてみた。おぼろげな記憶である。相変わらずの回顧談だが、許されよ。

 高校時代までは坊主だったので、まったくその必要はない。64年に上京した時も、下宿の台所での洗顔だから、整髪料が並ぶ余地はなかった。また、床屋に行くゆとりがあるわけもなく、床屋の記憶も定かではない。そもそも銭湯に行くにしても、シャンプーはなく、石鹸で洗髪していた。銭湯でシャンプーを使う時は申告して、洗髪料という追加料金を取られていた。そういえば、ポリポリ頭を掻いて学生服にフケが目立った時もあったが、女の子からは不潔に思われたに違いない。内湯の普及と男の整髪料の普及が関連しているという説が的を得ているようだ。

 現在使っているのは、昭和レトロの丹頂「マンダム」であるが、いかにも消費意欲が乏しい。脳裏には、ライオンから出た「バイタリス」の記憶が鮮明にあり、資生堂「MG5」のCMソングも耳に残っている。1960年代である。わが青春時代と呼応するが、広告が躍動した時代でもある。その象徴といえるのが資生堂宣伝部。新鮮さ・男らしさ・若々しさ。これをMG5に込めろ!というわけで、徹底した斬新さを打ち出せ、と檄が飛ぶ。優雅さと気品に加えて、革新が肝。福原義春社長は「半分は今までの資生堂を守れ。半分は今までの資生堂にない表現をしろ」といい、あっという間に市場を占有し、資生堂は本格的な男性化粧品市場を確立していった。沃野に一滴たらすだけで広がっていく醍醐味である。マーケティング論が浸透し、デザインがもてはやされ、コピーライターなる職種があることも、何となく知れ渡った。

 その頃の大学サークルの花形が広告研究会。早大・小林太三郎教授の広告ゼミは超人気でおいそれと入れなかった。このゼミ推薦があれば、電通、博報堂に入社できるといわれた。へそ曲がりの老人はそんな喧噪をよそ目に、唯一のマルクス経済学・松原昭教授のゼミに入った。資本論が教科書で、所得分配論がテーマである。図書館に通い詰めないと、入り口にも届かない。おざなりの論文で許してもらったが、今でも申し訳ないと思っている。でも、決して無駄なことではなかった。逆から見る方が真の実相が見えてくることが多い。
 さて、60年代の回顧談で終わってはならない。自らは語れないので、この男を挙げたい。1948年生まれの、「株式会社ほぼ日」社長の糸井重里。前橋高校卒というのがいい、法政大学では学生運動にのめりこんで中退し、宣伝会議のコピーライター講座がスタートだった。本社の神田錦町は博報堂の拠点でもある。ほぼ日創刊23周年で、「汝、狭き門より入れ」と鼓舞している。回り見渡せば、閉塞の壁ばかりだが、安易な広い道を選べば、それは滅にいたることは間違いない。

 果たして、後期高齢者の狭き門とは何か。ライオンが場違いのようなバイタリスを売り出したことにヒントがあるように思う。キーワードは場違い。後期高齢者諸君、線香花火でいい。あとひと花咲かそうではないか。

 

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