2019読書アンケート特集

 「月刊みすず」が毎年3月に発行する読書アンケート特集はやはり見逃せない。800人の知識人が昨年読んで興味を感じた書物を挙げている。ひとり5点に絞っているのだが、これはと思う本は同じと見えて、重複するものは目を通しておかねばと思う。ありがたい読書の指針でもある。PR本だけに324円と安く、申し訳ない気持ちだ。見逃しならぬ、読み逃しているかもしれない人に向けて、数冊挙げてみたい。

 吉田裕の「日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実」(中公新書)。310万人の戦死者のうち、9割が1944年以降の死亡、餓死と病死の割合が異常に高く、海没死、自死など「戦死」と呼べない無残な死に方を、これでもかとデータを元に示す。戦争末期にいたって兵士の体格・体力は低下し、装備も不足し、糧食は途絶え、原材料の劣化によって軍靴はすぐに破れるようになった。「兵士になりたるの不幸の他に、この邦で兵士になりたるの不幸を重ねる」といいたくなる。上野千鶴子が綴る。

 福島紀幸の「ぼくの伯父さんー長谷川四郎物語」(河出書房新社)。シベリア抑留の体験は、収容所がどこであったかによって著しく異なる。しかし石原吉郎「望郷の海」と長谷川四郎「シベリア物語」の大きな違いは経験の厳しさだけでは説明し切れない。FかHの尖った鉛筆で書かれた線が石原吉郎だとすれば、長谷川四郎は太い4Bの鉛筆で書かれた「ボケ味」がある。かといって鈍いわけではない。人となりを知る担当編集者が、長谷川四郎の捉えどころにない足の運びと、丸みの帯びた神経と、ぬかりのない観察眼を、淡々とたどっていく。小説家の松家仁之が綴る。

 チョン・スチャンの「羞恥」(みすず書房)。脱北者のその後の生活だ。みんな逃亡の途中で家族を亡くしている。生き残った者のつらさ、死んだ家族への思い、中国で「慰安婦」にされている妻への自責感。それでも最底辺の工員をしながら、差別に耐えて生きていかねばならない南での生活。おりから平昌オリンピックに向けての工事による好景気。そこで発見された朝鮮戦争当時の虐殺に由来するらしい大量の遺骨。国によるご都合調査。工事反対運動。そうした流れに巻き込まれながら冷ややかに離脱する脱北者。結局3人のうち2人は自死をとげ、娘のいるひとりだけが差別の中で何とかやっていけそう。怨念、恨み、心の疼き、死んでも浮かばれない魂、こうしたことにこだわるのが抵抗であることを教えてくれる。ドイツ思想の三島憲一が綴る。

 山本義隆の「小数と対数の発見」(日本評論社)。デジタルな分数がいかにアナログな小数となり、今ある標記となったのか。対数が、どう天文学を助け、自然学の物理学への転換に寄与したのか。概念形成とともに表記確立の大事さが伝わる。これを推奨しているのがブックデザインの鈴木一誠だが、同じ山本義隆「16世紀文化革命」(みすず書房)もデザイナーにとって必読という。デザイナーにとって重要なのは、旋回しながらうねるように展開されていく壮大な論旨全体が<視覚=パースペクティブ論>といえるからだ。生き物に目が誕生して視覚が周囲を一気に捉えて、パースペクティブが獲得される。俯瞰された世界の痕跡が絵や図、文様として見えてくる。

 さて、いかに狭い範囲でしか手読んでいないか、と思い知らされる。古稀を過ぎてなお、急かされるように生活している自分に自己嫌悪を感じてしまう。残り少ない時間をもっと、心豊かに生きられないのか。読書アンケートはそう突き付けてくる。

 

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