フレイル

超高齢化社会をどう乗り切るか、キーワードはフレイルである。衰えるという意味のフレイル(frailty)だが、加齢による心身機能・生理的予備機能の低下をいい、病気ではなく、状態をさす。フレイルになる主な要因は身体的なものだが、心理的、社会的なものも影響するため個人差がとても大きい。フレイルは医療や福祉だけに限らず、人生とは何か、生命とは何かも問うている。死生学という視点で東京大学大学院・会田薫子特任准教授が昨年の富山講演で問題提起した現実が現われた。
 最近、プール仲間の3人が相次いで心臓の治療を受けた。ひとりは71歳ながらトライアスロンに挑戦しようかという頑健な肉体保持者だった。夏頃に心臓肥大からくる胸の痛みだろうと思っていたが、頻繁に起きるので受診したところ、60%治るという判断でカテーテルを入れて検査をした。ところが、その後の状況が悪くなった。家にいて救急車を2度も呼んでいる。電気ショックみたいな治療法で回復させているが自分でもよくわかっていない。本人は今までとは打って変わり、妻のいいなりに敗軍の将みたいな生活になったと嘆いている。もうひとりは80歳であるが、週3回は水泳を楽しんでいて、とてもその年齢には見えない。これもかかりつけ医に行ったところ、心電図を見て県立中央病院での精密検査を勧められ、これもカテーテルを入れる検査をした。今は平常な生活を送っているが果たしてよかったのかどうか、疑問を持っている。最後のひとりは57歳である。1メートル80を超える偉丈夫で、ビールを飲み出すと止まらない、大ジョッキをあおり続ける。2か月前に胸がむかむかする症状を訴えて入院すると、心房細動という診断で大きな血栓も見つかった。集中治療室に2週間入り、薬治療で何とか治めて退院してきたが、階段上り下りさえ覚束ない状況となっている。
 さて、この3人の治療費だがそれぞれ100万円を遥かに超えている。高額医療費の補助制度があるので、やむを得ないかとなっているが、果たしてこんな医療システムでいいのか、だ。人間が老いて衰えていく存在だということが、抜け落ちているのではないかという疑問である。そして国民皆保険という制度が高齢者への高額療養費で蝕まれていくのではないかという危惧である。小児科にその分充ててほしいと思う。
 会田教授は、フレイルは重要な概念だが、臨床では理解されにくかった。なぜなら医師は特定の疾患や臓器に着目するように教育訓練されており、フレイルは特定の疾患の主訴の原因となるものではなかったからだ。医師は自分たちに関わる問題とは思っていなかった。フレイルな高齢者では、ある疾患の治療が別の疾患の治療を悪化させることがあるため、医師は注意しなければいけない。木の枝を見るよりも森全体(体全体)に注目してほしい。恒常性維持機能が低下しており、ストレスに弱い。薬を使う場合にもさじ加減が重要になる。がん医療についてもフレイルの知見は導入されつつある。フレイルの患者に対しては化学治療の副作用が出やすい。どう組み入れるかの検討が進められている。終末期の患者に対し、医師らに「できることは何でもしてください」と言う家族の気持ちは理解できる。しかし、技術的には可能でも、科学にもとづいたフレイルの知見がある現在ではその医療処置がかえって患者本人に苦痛を与える。コミュニケーション力をもって家族に伝え、最期を静かに支えていただきたい、と結ぶ。
 実はわが父の時も同じ経験をしている。08年に97歳で亡くなっているのだが、94歳の時に心筋梗塞で倒れた。担ぎ込まれた病院の医師は念のため心臓マッサージをやってみますと了解を求めてきた。ダメだろうとの思いもあり、了解したのだが、ろっ骨を折りながらも心臓は動き出した。その後の治療のために拘束を余儀なくされて、認知症は一気に進んだ。どうして逝かせてくれなったのだ、という父の眼だった。医師に医療費の200万余のことをいうと、そのことを思って大事にしてあげてください、といった。当方の負担は10万余で、もし全額負担であれば、許容していたかどうかで悩んだ。
 少なくともフレイルが確認できる75歳以上の高齢者は侵襲性のある手術や高額な薬品という選択には、アルタナティブな別の選択肢があることを明確にして、それでもそうしたいという意思表示を本人や家族がするべきで、医療者に任せてはいけない。そうしなかった本人、家族には東洋医学系の例えば鍼灸や、マッサージなどを医療保険でやれるようにしてほしい。終末期の不安を持つ者にとって、身体にやさしく触れてもらえるだけで、どれだけありがたいか。できれば、こんな高齢者の声をとらえて、議員立法でお願いしたい。
 さて、プーチンの来日、真珠湾訪問と目くらましのような政治ショーが続くが、眼を凝らして見定めなければならない。

© 2024 ゆずりは通信