遠くに見えるステルス戦闘機が離着陸の訓練を繰り返している。騒音は耳をつんざく。釜山まで300キロ、平壌までは700キロ、米軍にとって朝鮮半島へのゲートウエイという岩国基地は緊張に包まれている。先日、北朝鮮空域に最も接近飛行した爆撃機B1Bに寄り添ったF35Bはこの岩国基地から飛び立った。9月27日、小雨に煙ぶる岩国飛行場展望台に立ってみて、着々と進んでいる臨戦体制に慄然とした。トランプのいうすべてのメニューは揃っているという現実である。写真を撮ろうとすると係員が制止する。ここはどうも日本の法律の及ばない治外法権地域となっているようだ。
1938年、呉軍港に付随する 大日本帝国海軍の軍用飛行場として建設されたのが始まり。面積からすると米軍基地では嘉手納、三沢、横田に次ぐ4番目で、戦後米海兵隊に接収され、朝鮮戦争では出撃拠点基地となった。そんな歴史とともにあるのだが、91年に起きた訓練機墜落をきっかけに滑走路の沖合移設計画が持ち上がった。その展開だが、当然基地の縮小となるところだが、基地の拡大充実となっていく日本的なカラクリ論法は哀しいほどである。埋め立ては岩国郊外の鎮守の森・愛宕山を削り取って行われ、跡地は21世紀型多機能都市として予定された。せっかく延長されもした滑走路だからと米空母艦載機の受け入れが提案され、多機能都市は公団が売れ行きの自信がないと、赤字解消策も兼ねて増員なった米軍将校用宿舎案となる。真っ当な行政は艦載機の受け入れの可否を住民投票にかけると87%が反対となり、これを主導した井原市長は再選を果たす。さて、ここからが日本の民主主義の弱さである。政府は市庁舎建設の補助金の停止、米軍再編推進法による協力交付金を岩国市だけに支給しないと強烈な反撃ムチを繰り出すと、市議会が現実的対応を決議し、市長提案の予算を否決する。そこで信を問うべく出直し市長選となるが、すべてを容認する福田市長が僅差で勝ってしまう。そして、ここぞとばかりに政府におねだり要求書を出す。岩国錦帯橋空港の開設もそのおこぼれであるが、それらのすべてを認めてやるからと、沖縄のオスプレイも積極的に受け入れることになってしまう。艦載機の発着訓練は急降下、急発進の連続でその騒音は赤ちゃんがひきつけを起こすというレベルである。オスプレイも然り、超ハイテク過ぎて人間の生理感覚が追い付いていかず、ちょっとした異変にあわてる人間の操作ミスが必然的について回る代物である。事故は必然といわなければならない。滑走路の埋め立ての2500億円を含め航空機の大増強などに6500億円の血税が投入された。任地を転々とする米軍住宅では何か月もクーラーを掛け放っしにして留守にする。その電気代も血税だと住民がこぼしている。先ほど治外法権といったが、基地内なもちろんのこと航空空域の管制権も米軍が持っている。「対話ではなく、圧力強化しかない」と叫ぶアベクンの自発的対米従属策の実態である。解釈改憲での集団的自衛権をまるで既成事実化を急ぐように積み上げている。これらを縮減させるには、肥大化した米国の軍需産業を抱えるホワイトハウスと気が遠くなるほどの交渉を積み重ねなければならない。そうした交渉に耐える政治家を育てるのが急務であり、そのためには国民の粘り強い平和への世論支持は欠かせない。
36年前に一緒に組合活動をした広島の仲間が企画した旅行であるが全国から56人が参加した。老いたりとはいえ、往時の面影が残っている。久しぶりに「がんばろう」を歌って気勢を挙げた。しかし、民進党解体の引き金を引いた前原の罪は重い。