歴史の転換期と個人の転換期が妙に絡み合いながら、それぞれの人生が織りなされる。53年のスターリンの死去から、56年のフルシュチョフによるソ連共産党第20回大会でのスターリン批判演説まで3年要した。その間にハンガリーではスターリン派の指導者を追い出して、民主的な改革に大きく舵を切ろうとしていた。その行き過ぎに不安を感じたソ連共産党指導部は大規模な軍事介入で運動を弾圧した。ハンガリー動乱と呼ばれる事件は日本共産党をはじめとして知識人に大きな動揺をもたらした。その結末は91年のソ連崩壊につながっていく。
作家・真継伸彦は8月22日、84歳で亡くなった。真継の「光る聲」はこのハンガリー動乱をテーマに、京都大学でドイツ文学専攻したこともあり、生真面目な手法で、共産党員を主人公にしてその苦悩を描き出している。その初版を書棚から取り出してみると、河出書房新社、昭和41年1月初版印刷、定価400円とある。色鉛筆で傍線を引きながら、丁寧に読んだことが見て取れる。50年前の21歳の時である。ほとんど記憶にないが、追悼の気持ちでページをめくってみた。思えば、この真継と並んで高橋和巳、柴田翔の3人が、田舎から出てきて全く読書習慣のない高校生に大きな知的刺激を与えてくれた。この3人の難をいえば、女性の描写が弱いことだ。いわば奥手で、聖なる女と堕ちた女を行きつ戻りつして、たどたどしい。それをわが世代も引き継ぐことになったというべきだろう。それでも、広辞苑を引きながら、語彙を増やそうと大学ノートに書き留めていた。そんなうぶなといいたいところだが、いろんな女性を傷つけていたのではないだろうか。遠藤周作の「私が棄てた女」は突き付けてくる人間失格の烙印でもある。その洗礼を受けてきたかどうか、というのも男の懐の深さだが、のっぺりとした底の浅い男よりはいいとは思うが、これも身勝手といっていいだろう。
「光る聲」の最終章で真継が指摘しているのだが、創価学会という宗教政党の行く末である。その前に共産党員の絶望の声を聞いてほしい。マルクスもレーニンもその精神の中では美しいのです。彼らの理想はいちど現実化を始めれば、たちまち戦争です。陰謀、デマ、拷問、殺人、テロはもちろん、我々の手は血にまみえるのです。人格的にどれほど高潔でも、共産党員であるためには、どれだけ多くの人に憎まれ、呪われなければならないか。徳田、志賀、野坂、宮本、彼らの無能は戦後10年の革命運動の歴史が如実に証明してしまった。
そして、かっての同志が創価学会に転じるケースを書いている。「自殺を企てたが死ねなかった。敗残者として釜ヶ崎に流れ着いて、死の恐怖が入信の根本の動機だ。迷信だと一蹴しても何度となく足を運んでくる。そのうちに仕事の世話まで買って出てくる。いまでは日蓮正宗だけが唯一絶対の宗教だと思っている」。それも虚妄であろう。逃げ場を失ったものにたまたま現世利益に寄り添っただけである。
真継のその後はほとんど親鸞に行き着き、真宗教徒のように帰依した作品を書いている。大阪文学校への貢献も多としたい。ひとつ彼の実存と思える行為は、糟糠の妻を捨てて、若い女性と再婚していることだが、それも今にして思えば、何ら批判に当たらない。
はてさて、ここにきてわが同期生・井上浩が8月21日亡くなった。井上誠昌堂の御曹司で、文字通りの貴公子であった。しかし医薬品卸の過酷な再編はその存続を許さなかった。その重い責任からようやく解放されていることだろう。冥福を祈りたい。
「光る聲」