「ようこそ先輩」。一度は教壇に

私が好きなTV番組に「ようこそ先輩」がある。さしずめ私であれば、新湊小学校へ出かけることになる。「よお!こんにちは」と手を挙げて教室に向かう。教室の窓から顔を出して手を振ってくれる生徒たち。いまなら生徒数は30人余か。教壇に立って、生徒の名をゆっくり呼んでいく。「釣君」「味噌君」。「はい」「はい」と返事があり、やはり新湊の顔だなと納得する。ここまでは想像できるのだが、授業に何をするのか、となって夢から覚める。これというのを持ち合わせていない自分にがっかりする。でも一度はやってみたい。やはり郷里の小学校で。

授業といえば、いまは亡き林竹二さん。東北大学教育学部長を経て、宮城教育大学学長を。そして研究生活の末に、ふとしたことから授業を各地の小中学校ではじめる。二百数十回。特に有名になったのは神戸市長田区にある定時制湊川高校、尼崎工業高校での授業。1975年頃のことである。神戸をご存知の方はわかっていると思うが、この地域は部落出身者、在日朝鮮人の子弟が多い。とにかく非行少年少女であり、悪たれのゴンタたちであり、おとなしい子は無造作に精薄者扱いされている子供たちだ。いわば教育体制から切り捨てられた子供たち。その彼らがあっという間に引き込まれてしまう授業を林さんはやった。授業のひとつはソクラテスに関するもので、東北大学での最終講義と同じ内容のもの。恐らく数十年かけた研究の到達点の水準。それを彼らが受けとめたのである。その授業風景の写真集「学ぶこと変わることを」で見ると、笑ったことのない子が意識しないまま眼を輝かせ、笑顔を見せるのである。「神ってなんや」「二千三百年も前のことがなんでわかるんや」と執拗に林さんに食い下がる元暴走族。授業の言葉が、彼らに届いていく言葉であるということ。そして何よりも大切なことは、彼らの中に「学びに対するものすごい渇き」があるということ。そこにしみいってこそ授業なのである。子どもが深いところにしまい込んでいる力を引き出す強い意志と能力こそ、教師に求められている。日本の学校教育は、無数の子どもを切り捨てているだけではない。その切り捨ての上に成り立っている。林さんの授業をラサールや灘高でやったら、彼らは受け入れるだろうか。そして変われるだろうか。この授業を受けた湊川の生徒の何人かは、確実に持続的に変わっていった。授業は真剣勝負。そして授業は公開されなければならない。誰でも見学できるし、批評もできる。それに堪えるものでなければならないのだ。力の弱いものに、しかも密室で威嚇しながらの授業などもってのほか。それくらいなら学級崩壊の方がまだまし。

林さんには及ばないのはもちろんだが、それでも一世一代の授業なるものをやってみたい。林さんがこの授業をやったのが70歳を過ぎてから。あと15年もある。いや15年しか、というべきか。

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