老人の医療法人の仕事は週4回開いている診療所の鍵開けである。砺波市の無医地区の2つの診療所で午後1時30分診察開始となっているが、高齢者は結構早くやってくる。雨の時や、寒い時に玄関の外で待ってもらうわけにはいかない、さりとてこの30分、1時間の時間を正規のスタッフでというわけにもいかない。外来受付も含めてみんなギリギリで仕事をしている。それならと勝って出たのだが、これが意外と面白い。鍵を開け、冬はストーブに火をつけ、夏が冷房のスイッチを入れて待つことになるのだが、その間の雑談で地域のさまざまな情報がはいってくる。
というわけで、途中での昼ごはんを計算して、正午が出勤?時間となる。10月24日文字通りの秋晴れで、頼成の森公園でコンビニ弁当でも食べるかと思いつつ、わが家から出てすぐの田んぼ道を車で走っていると狭い農道に車が3台ほど止まっている。徐行しながら脇を見ると、親しくしているおばちゃん達である。「米のはさがけが終わったところで、おにぎりで一服しているのよ。一緒にどう!」と声がかかる。炊きたての新米を海苔に挟むだけだが、これがうまい。もうひとつ、もうひとつと何と4個もほおばることになった。漬物の味も絶妙で、ぽかぽか天気も心地よく、最近の鬱々した気分が晴れわたっていく。話題はいつしか亡妻にもおよび、あれから17年も過ぎたのかと同じため息をついた。その傍らに今にもあの笑顔でいるような不思議な感覚に襲われた。ありがたいことである。
亡妻の命日は1月7日だが、その前後の土曜日に拙宅で毎年偲ぶ会を開いている。みなさんが料理を持ち込んでくれるので、酒を用意するだけでいい。老人はいつもだらしなく酔い痴れてしまう。翌朝、二日酔いの頭を叩きながら起きると台所はきれいに片付けられている。そして、それぞれの17年の変遷を見ると、決して平坦な道でないのがよくわかる。
定年後に専業の農業を選択したJさんは元気いっぱいだが、立ちはだかるのはTPPの行く末である。米の値段はじりじりと下がり続けている。おそらく零細な兼業農家は維持することはできまい。耕作放棄地は全国いたるところに広がり続けるだろう。それらを見越して全体がうごめいている。
世界の種子ビジネス業界は世界戦略で動いている。従来の単なる “タネ” から高機能を付加したハイテク商品へと変化を遂げており、農業生産において重要な役割を担っている。 世界トップのモンサントのお先棒をかついで、日本の種子ビジネスで独占化を狙い、米消費の大半を占めるコンビニやファストフードと組んで、コメ価格の主導権を握っていこうとする巨大商社のシナリオは既に出来上がっているという。遺伝子組み換え技術で開発されたハイブリッド種苗が開発途上国を席巻していく。その流れで低価格を切り札に日本に流れ込んでくるのはもはや防ぎようがない。その動きに乗り遅れまいと分断化された全国の単位JAは翻弄されているといっていい。農協の解体だけを先行させれば、それは日本農業の解体となることは間違いないだろう。こうしたのどかな田園風景の中で、おにぎりを食べられることの最後の世代になるかもしれない。
こんな悲観にたちはだかるのが「グローバル化の先のローカル化」で、モノ、カネ、ヒトが地域で循環させるというシステムである。悩む団塊ジュニアを巻き込んで、何とかしなければならない。おばちゃん連合に7人の侍が駆けつけて、黒澤映画の再現を夢見るのだがどうだろうか。
最高の昼ごはん