「暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」

 なぜヒロシマに原爆が投下されなくてはならなかったか。米国の原爆投下候補地検討委員会では多くの都市が挙げられたが、議論の最初から最後まで広島は候補地の筆頭に挙がり続けた。それは広島の沖に、日本軍最大の陸軍輸送基地・宇品(うじな)があったからである。島国日本にとって、戦地に兵隊を、そして補給と兵站を船舶で運び続けてこそ戦争が遂行できる。ところが海軍は陸軍の軍兵を運べないとなった。陸軍は民間のチャーター船を借り受けて行うことにする。その基地を宇品とするが、天然の良港ともいうべきすべての条件を備えていた。周辺には食糧や馬の餌などを集積保管する糧秣支廠、兵器の工場群、備蓄倉庫などが配され、30万人が働いていた。1894年日清戦争の折には、天皇共々大本営が広島に移された。いわば朝鮮、中国侵略戦争の最前線基地でもあった。その心臓部が船舶司令部で、そこに「船舶の神」と呼ばれた田尻昌次・中将が現れて、このノンフィクション小説は語られていく。太平洋戦争とは米軍の執拗な輸送船攻撃に始まり、広島原爆投下で終わりを告げる、まさに輸送の戦いであり、補給戦だった。敗北は自明であっても、昭和天皇もその勢いには抗すことはできなかった。

 陸軍士官学校を出、貧困に苦しみながらも難関の陸軍大学校も出た田尻だが、但馬出身ゆえ理不尽な藩閥人事に直面していく。陸大出で構成される参謀本部は最終的な決定を下すのだが、官僚組織ゆえの硬直さは想像を絶し、破滅への一直線だった。南進作戦とは太平洋の島々に兵隊を送り、弾薬を送り、食料などを送り続けねばならない。その船舶は足りず、武装もせず、しかも低速で進むしかない。制空権を失って米軍の思うまま空から船舶が攻撃される。船に乗った多くの兵隊がそのまま海の藻屑になり、辛うじて上陸しても飢えが待っている。

 船舶事情を知り抜いた田尻は、参謀本部に掛け合うが、「お前は輸送だけやっていればいいのだ」と取り合ってくれない。船舶の拡充不可欠と説く献策は、日米開戦に反対しているとも取れるものだった。1940年3月に宇品の倉庫から出火し、倉庫4棟が焼失した。この責任を問うと、陸軍中将田尻昌次は論旨免職される。傷心の思いで、相次ぐ敗報を聞くしかなかった。

 ノモンハン事件が悲劇の序曲。ミッドウエイ作戦は海軍の、ガタルカナル作戦は陸軍の敗走への転機となったが、荒唐無稽な強硬論はそのまま、ただただ犠牲者を増やしていった。手持ちの船舶の大半を失った宇品では、小さなベニヤ版の特攻艇を出撃させ、若い命が暗い海底へと沈められていった。なぜ、どうして。そんな疑問をそのままに辺野古の埋め立て、南西諸島のミサイル配備となっている。

 著者は堀川惠子。69年生まれで、広島大学を出て、広島テレビに入る生粋の広島人。04年に退社して東京に移り、NHKなどでドキュメンタリー番組を制作していたが、13年以降は執筆に専念。ノンフィクション3賞のすべてを受賞するなど才能をほしいままにしている。次に読みたいのは「透析を止めた日」。10年以上におよぶ血液透析、腎移植、再透析の末、透析を止める決断をした夫。その壮絶な最期を看取った著者による医療ノンフィクションである。

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