「さあ100億円の金がある。電力会社から脅しつけて分捕ってきた。世間体のいい振興策とやらを考えてくれ」。想像するにこんな風な展開になっている。
貝蔵珠洲市長は三電力の社長を怒鳴りつけた。「この28年間、お前さんたちの要請で町を二分して骨肉の争いをしてきたんだ。もう要らないだと、勝手なことを抜かすな。どう落とし前をつけるんだ」。珠洲原発凍結の方針を伝える12月5日の場面である。石川県珠洲市。人口19,852人、65歳の高齢者が33.2%、人口増減率マイナス8%(00/95)。代表的な過疎の町である。
石川県庁でも同様の場面が再現された。谷本知事が「これで、はいさようなら」というわけにはいきませんよ。28年間の信頼関係はどうするんですか、と声をはりあげた。関西電力、中部電力、北陸電力の社長3人は見る影もない。
電力会社の役員室をのぞいたことのある人は思う。深々とした絨毯が敷かれ、美人の秘書がかしずき、誰もが近寄れない威厳を演出する社長室。これほどまでする必要があるのか、と。地域独占で、しかも誰しも電気のない暮らしはできない。それほど難しい経営ではない。自主性のなさが、国策の原発推進に盲目的に追従させられてきた。官にひれ伏す民の象徴でもあった。10年以上前石川出身の通産省課長の発案での能登ソーラーカーラリーも、お先棒を担がされたのが電力会社。そんな3人の社長が口ごもり、おどおどと「申し訳ない」を繰り返す。そして、いつの間にか地域振興基金100億円構想がどこからともなく浮上した。
さあ、あなたならどうする。企画コンサルティング料はその1割として10億円。野村総研、三菱総研やらが名乗りを挙げる前に、現地に馳せ参じてはどうだろう。
地域経済、地域社会の行く末、というより息子、娘世代の行き末を考えると暗澹としてくる。足利銀行はそんな憂慮を現実として見せてくれた。あれよあれよという間に、繰り延べ税金資産の自己資本への組入れを認めないとされて債務超過、破綻へ。突然に尺貫法からメートル法に変わったから市場から退出せよ、というもの。竹中の他人事のような釈明もしらじらしい。明日はわが身と思う企業も多いはずである。
さて、悲観論もここまでにしよう。明日のためのその一。内発的経済発展を念頭に置こう。そこの土地の歴史、文化に根ざした伝統的な産業の延長線上で発想豊かに考えることである。大規模開発、企業誘致や大会社依存は避けること。明日のためのその二。定住者だけで考えるな、漂流者いわばよそ者をいれるべし。能登弁に、薩摩弁、ハングルに、中国語、ロシア語が混じるべし。創造力はそこから生まれる。その三。新しい若いリーダーを選ぶこと。市長の再選は何が何でも避けるべし。自分の利害、面子を最優先するこわもては不要。その四。やはり持続し、自己増殖、自己変身していくプロジェクトであるべき。しなやかに、したたかに、そろばんとロマンと理念のバランスがとれている。
そんなものがどこにある、と嘆くなかれ。輪島塗、その沈金、蒔絵の高度な装飾技術。能登上布と称される麻織物。能登牡蠣、能登あわび、干口子などの高級食材。そしてキリコに代表される祭り。シーズはころがっている。見方を変えるだけで、化ける可能性を秘めている。そう信じることである。
とりあえず坂本冬実のリサイタルを来春に開こう。反対派、賛成派とも清酒・宗玄を手に「能登はいらんかいね」を大合唱し、大団円とする。そこに三電力の社長も出席して、こう宣言する。三電力の従業員家族10万人は今後10年間?社員旅行、家族旅行はすべて能登空港利用しての能登観光とします?従業員家族は年間3万円の能登特産を購入します?私たち三人は珠洲市に「終の棲家」を求め、退職慰労金、年金は全額寄付します。これで100億円は勘弁願えないでしょうか。株主も、消費者も許してくれそうにないのです。
こんな解決策でどうだろうか。