「新リア王」

新聞の連載小説が突然「未完」と書かれて、打ち切りとなった。日本経済新聞の10月31日朝刊、高村薫の「新リア王」。熱心な読者ではなかったが、青森を舞台にした日本的な政治風土を抉り出すような意欲作であった。理由は11回分の原稿を13回にして、高村薫に無断で掲載したということ。子細はわからない。
同様なことが朝日新聞でも起きている。柳美里の「八月の果て」。これは従軍慰安婦の取り扱いをめぐって朝日が注文をつけ、柳美理が拒否。編集局長が謝罪をし、再度の依頼をしたといわれている。高村薫も柳美里も新潮社が引受人となり、後日出版するという。読者にしてみると、新聞代で読みきれると思ったのに、新たに書籍費がかさむことになり、何か詐欺にあったようで腑に落ちない気分だ。
 高村薫のあと、日をおかずに引き継いたのが渡辺淳一。「愛の流刑地」で、最初から富山のおわらが出てきて驚いたが、どんな経緯があったのか探ってみたい気がする。渡辺淳一の「失楽園」が日経に連載された時、ほとんどの経済人は終面から眼を通し、誰にいぶかられることなく、朝からエロスの世界にひたれた。もちろんベストセラーとなり、渡辺はひっぱりだこの人気を得た。日経が紙価を高めた利益と、渡辺が寵児となった利益。その時の貸借勘定はどうだったのだろうか。
さて、高村の「新リア王」の掲載予定期間はいつまでだったか。恐らく高村が激怒し、その厳しい追及に日経側が抗弁する余地も無く、ただ引き下がるしかなかったのではないか。急遽打ち切りとなれば、次の書き手探しに当事者は慌てふためいたことは十分に想像できる。ほぼ1ヶ月間で引き受けてくれる作家はそういるわけではない。その時に「失楽園」の貸借勘定が急浮上し、今回の引き受けになったと見るのはうがち過ぎだろうか。
 最近のマーケティング傾向をみると、安易な二番煎じはどうも失敗に終わっている。時代の空気は目まぐるしく変わっている。再興、再任、再婚、再建、再現、再生???みんな難しい。ブッシュ再選もそうだ。もう飽き飽きなのに、次なる4年間は長すぎる。
 マイケル・ムーアはどうしているだろうか。あの大きな身体で、地団駄踏んで悔しがっているのが見えてくる。華氏911を引っさげて、全米を駆け巡り、投票日の前日にはオハイオにはいり、「ノー、ブッシュ!」を叫んでいたらしい。ブッシュ勝利を聞いて、まずムーアを思った。ブッシュ再選、何かを見誤っていたような気もする。これも腑に落ちない。
 いまひとつ。「だまされたと思って、聞いてみられたらどうでしょう。もう生涯でチャンスはないかもしれません」。こうまでいわれたら、逃げるわけにはいかない。即完売と目論んでいたが、公演1週間前でもまだチケットが売れ残っていた。11月6日ベルリン・フィルハーモニーの金沢公演。S席4万円也。石川県立音楽堂の山田さんには多少の義理もあるが、このオーケストラがわが心に響かなければ、クラシック公演はわが生涯最期にしょうと決めたことが大きい。指揮はサイモン・ラトル。ベルリンの子供たちにクラシックを楽しんでもらおうと、ストラヴィンスキーの「春の祭典」で舞台をつくるダンス・プロジェクトが立ちあがり、ベルリンフィルのメンバーも参加した。そんな企画を推進したのがラトル。それがドキュメンタリー映画となり、「ベルリン・フィルと子どもたち」として年末に上映される。ということもあり、指揮者ラトルから目を離さずに聞こうと思い定めた。会場は知事、金沢市長、頭取などなど夫人達も着飾り、一大社交場となっていた。
 さて、その2時間後。もうクラシックのコンサートには足を運ばないことに決めていた。小生の耳。これも腑に落ちない。

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