深く詮索しないで聞いてほしい。暑い盛りの昼前であった。いつも利用するスーパーに、定番の豆腐、納豆、干物などを補充しようと立ち寄り、買い物籠を手にした時である。向こうから、やあ、と声を掛けながら手を挙げてやってくる。薄いブルーの作業着を着ているほぼ同世代。ちょっと時間がかかったがようやく思い起こすことが出来た。やせてはいるが、“あの人”である。
元気そうだね、といい、握手の手を差し出している。こちらのちょっと複雑な思いにも委細かまわずという感じだ。つい手を出さざるを得ない。機先を制するというのは、こんなことかも知れない。作業着の胸にある社名に手をやりながら、近くの病院に清掃に来ているんだ、と明るい声。社名は確かに見覚えのあるビル清掃会社であった。
“あの人”は1年先輩である。中心商店街で洋装店を経営していた。慶応高校、慶応大学、そして慶応ビジネススクールを出ており、ダイエー2代目・中内潤とは同期生で机を並べていたこともある。父上が地方におけるマンション事業の先駆者で、“あの人”はマンション管理組合の理事長も務めていた。魔が差したというのであろうか、こともあろうにマンションの修繕積立金に手をつけてしまった。数年前のことである。とても信じることができなかった。留置場も永かったはずである。
こんな形での再会とは意外であり、レジに向かう“あの人”はパンとちょっとした果物を買っているようであり、昼食用なのだと妙に納得がいった。
同様にもうひとり、こんな人がいる。高校の同期生でやはり、慶応に進んだ。いわゆる2代目で、やさしい男である。数年前、父の後を継いだ商社が破産した。へえそうなのか、と話に聞いていたのだが、駅前のタクシー配車係をしているのを見てしまった。客を手振りよろしく誘導し、客が乗ったタクシーに頭を下げている。確かに彼だ、と確認したが、とても会わせる顔がないと、こちらが足早に方向を変えてしまった。
この二人に共通するのは、開き直ったふてぶてしさが感じられないことだ。むしろ素直に現実を受け入れて、こんな姿も見てもらっていいのだという風である。もちろんそこに到達するには時間がかかっていることは間違いない。三好達治の詩の一節に「さあ、涙を拭いて働こう」がある。こんな情景であろうか。
サブプライムに端を発した世界不況は、こんな企業が、こんな人がと思うレベルにも襲いかかっている。身構えれば身構えるほど、自分では正解であっても、その萎縮が集まって不況を加速させる<無謬の合成>に陥ってしまう。したがって、これからが本番不況がやって来ると思った方がいい。追い詰められた時に、どう身を処していくかも考えておかねばならない。といって、さほどでもないことなのである。
しかし、身の処し方を、ちょっと間違うとこうなる。誰にも破滅願望のようなところがある。種田山頭火や、尾崎放哉がもてはやされるのは、そうした心理をうつしたものといえる。酒が誘い水となる。山頭火、放哉ともに酒乱といっていい。酒は絶望をより深くし、弱さに拍車をかける。転げ落ちるといっていい。この二人には、俳句という身を削る表現願望が加わった。苦しみが苦しみを見つめ出し、言魂となって喉奥からひねり出している。辞世の句はそれぞれ「もりもりもりあがる雲へ歩む」「春の山のうしろから烟が出だした」。どんな名句を残されようと、周囲の迷惑千万を考えれば、凡人の処し方とはいえない。
はてさて、ここはやはり“ヨイトマケ”であろう。友達を見たら、怯んだところを見透かされる前に、機先を制して声を掛けることだ。母ちゃんのためなら、エンヤコラ こどものためなら、エンヤコラ 涙をぬぐって、エンヤコラ。
8月も終わるが、63の馬齢を重ねる。山頭火にこんな句がある「六十にして落ちつけないこゝろ海をわたる」。
機先を制する