ありがとう!初音

富山駅前・富劇ビルにある居酒屋「初音」が4月末で店を閉じる。ビルというが戦前を感じさせるオンボロで闇市を思わせる。昭和43年の開店だが、社会人スタート時期と重なり、ほぼ40年以上通わせていただいた。そこの常連有志が初音のおかあちゃん・経明尚江さんの慰労会をかねて、3月28日富山第一ホテルで「ありがとう!初音」パーティを開いた。何と全国から120人余が駆けつけ、元公務員はやはりスーツ姿、外れた暮らしをしてきた連中はジャンパー、これほど多彩で多様な集まりはないだろうと眺めていた。顔見知りだが、名も知らず、仕事も知らず、居合わせるとやぁやぁと声を掛けてコップ酒をあおった、ただそれだけの仲だが、それが一同に会したのである。 
 乾杯は上市町・有沢酒造の「白緑(しろみどり)」だ。これも蔵を閉じる。若い時は5杯くらいをさっとあおって、やおら繁華街への出陣となった。苦い体験は昭和45年ぐらいだろうか、大学紛争が冷めやらぬ時期で友人と革命がどうの、と半可通な議論をしていた時に、隣で飲んでいたやくざっぽい男が「お前ら、くだらないことを」と襟首を掴みかからんばかりに絡んできた。これはえらいことになった、と内心ビビッていたが、初音の親父がその男をつまみ出すように外に出し、有無をいわせぬ啖呵で追い出してくれた。この気風と度胸だから、こわいものなしに映った。営林署職員からの脱サラだが、とにかくうまいものを出してくれて、絶対の自信を持っていた。呑み出しが初音でないと気にいらない。はしごの2軒目に行くと、機嫌の悪い時には断られた。NHKアナの山川静夫も富山に用があった時は必ず立ち寄り、奥まった席にひとり座って静かに飲んでいた。
 ハイライトはやはり京都大学山岳部でOB5人が駆けつけ、北アルプス登山の帰途、駅前の銭湯「観音湯」で汗を流し、初音でうまいものを食べるのを最大の楽しみにしていたと懐かしく語りかけた。奉加帳をまわして、入り口に下がる赤提灯に京都大学山岳部と大書して贈り、文化勲章の今西錦司教授もそれではと足を運んでいる。あいさつした本人も南極越冬隊長であった。
 親父が亡くなったのは昭和57年。酒にやられたのである。ほとんど酔った状態で、蒋介石夫人の宋美齢なんかを引き合いに出して、法螺とも空想ともつかない話をしていた。「お前の料理で、十分にやっていける」と尚江さんに託した。その後33年間店を守ってきたのだが、飾らない人柄と「急がせんといて」が口癖のゆっくりした所作は飾らない人柄もあり、信頼を集め、客の絶えることはなかった。中学時代の恩師で亡き松浦泰重先生と偶然同席したことも懐かしい。
 北陸新幹線の浮かれた話の裏側で、こんな店が消えていくのである。居酒屋ブームでもあるのだが、こうしたうら悲しさを秘めた雰囲気をかもし出す店はもう出てくることはあるまい。ひとつの時代の終焉であることは間違いない。しかし、それはまた新しい何かが始まるということでもある。
 そんな予感のもうひとつ。春の選抜が始まったが、松山東の勝利には思わず拍手していた。通勤の帰路で、車中でラジオを聞いていたのだが、呉羽PAに差し掛かったのでテレビで見たいと立ち寄り、ソフトクリームを食べながら観戦し、勝利を見届けた。気分良く帰ろうとすると、「富山市方面」とプラカードを持つヒッチハイクの青年が立っている。声を掛けると、ありがとうございますと乗り込んできた。駅前で安宿を探すというので、それでは泊まっていけとなり、20歳の名古屋商科大学生と飲み明かした。九州をめぐって来て、これから東北を目指すという。これも得がたい楽しい一日。阪本節郎・博報堂新しい大人文化研究所長の、老人が社会を面白くするという指摘も的を外していないと思えてきた。

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