春近し

高校の同窓会広報誌の手伝いをしている。ひょんなことから、大阪への出張取材となった。医療法人の3月開業に向けてとても忙しく、代役を何人かに打診したが、みんなしり込みされてしまい、自分でやるしかなくなったのである。重要会議を欠席しての取材だったが、とても面白かった。時代がよく見えてくる。その中での4人を紹介する。
 博報堂勤務の男性48歳。広告業界は崩落しそうになっている。シャープ、スズキを担当しているが、中国・インド市場にどう取り組むかがすべて、国内をどうするなんて誰も考えていない。上海、デリーが仕事の中心。日本の20年前という感覚だが、そうかといって昔の日本ノウハウが簡単に通じるわけでもない、2段飛びに階段を駆けあがることもある。とにかく素直にグローバルな動きにのっていくしかない。大胆なリストラは避けて通れない。
 大阪市立大学大学院医学研究科の教授で男性51歳。研究は「神経再生」と「疲労」。疲労のメカニズムを、自律神経のR波の動き、ホルモンの濃度などで突き止めて、マーカーの開発などが目標だ。教授というが、中小企業のオーナーと変わらない。研究費をいかに獲得するかがカギで、企画力、業績が絶えず問われている。危惧するのは、旧帝大と他の大学の格差がますます広がっていること、加えて人材のすそ野がやせ細っていること。博士課程を大増員したがポストが現状のままで、任期制の登用もあるが哀しく厳しい現実だ。
 神戸市企画調整局勤務の男性49歳。京都大学で都市計画を学び、当時神戸株式会社といわれ、都市開発の先頭を走った神戸市に職を求めた。六甲山を削り取り、ポートアイランドができたが、そこでのプロジェクトである次世代スーパーコンピューターの活用を産業界に働きかけている。コンピューター上でシュミレーションさせて、開発コストの削減を図るなどで、その教育啓発も行おうという仕事だ。95年1月17日の大震災が大きな分岐点となった。この大試練に否応なく立ち向かわざるを得ない状況に追い込まれた。行政の担当者自身が被災者でありながら、被災市民のサポートに当たらなければならない。約2ヵ月で大枠の復興計画ができたが、現実には被災者との厳しい軋轢に大いに苦しんだ。今も続く。
 (財)高輝度光科学研究センター・学術博士の女性56歳。富山大学から奈良女子大学院、原子力研究所、滋賀大学とキャリアを重ねてきたが、女性は自分ひとりだった。いつも3倍努力が必要といい聞かせてきた。さて通称スプリング8と呼ばれる大型放射光施設(円形加速器)は直径500メートルで、周囲は1.5キロある巨大なものだが、和歌山カレー事件の砒素分析で一躍脚光を浴びた。本業としては、タイヤのゴム、車のエンジン、最近では考古学の埋蔵物などの物質解析に利用されている。仏、米などをしのいでいるが、設備のコンパクト化が大きな課題となっている。
 この4人に共通しているのが、自分の原型部分がどこで形成されたかと問うたところ、全員が高校時代といっていること。程よい質のそろった仲間がいたのがよかった。これは大学では求められなかったとも。また中高一貫では、思春期の成長リズムとしては長過ぎるリスクがあるかもしれない。
 帰途の列車に、京都から舞妓さん十数人が乗り込んできた。祇園から持ち込んだ割烹こいしのステーキ弁当を早速ひろげ、ペットボトルのお茶にストローを差し込んで飲んでいる。京都弁が耳に心地いい。春近し。

© 2024 ゆずりは通信