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教師に寄り添っていこう!

2017/7/24  

改革といいつつ、似て非なる現実と成り果てる。これにピタリと当て嵌まるのが教育改革と称するものである。加えて、こんな友情が味付けとなって進行するとなれば、ますます暗然とするしかない。  橋下・大阪市長と ...

逃避行

2017/7/24  

【子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え】。仙台在住であった俵万智が、自分にとって一番大事なのは息子を守ることといい切り、石垣島で8歳の息子と生活をしている。全校児童13人、息子は逞し ...

「小商いのすすめ」

2017/7/24  

小さな医療法人だが、カネのやり繰りに本当にこれでいいのかと自問する日々だ。自らその恩恵を受けてきた経済成長神話が捨て切れない。支出は伸び続ける、それに追い越されないためには収入も伸ばし続けるしかないと ...

終わりは始まり。

2017/7/24  

終わりは、始まる何かを孕みながら終わりたい。そんな予感があれば、終わりは始まりでもあり、終わらなければ始まらないこともある。そんな思いを抱きながら、3月4日「森のゆめ市民大学」の最終講座に出かけた。魚 ...

「高校紛争」

2017/7/24  

もう一度人生をやり直してみるかと問われたら、もう結構ですと答える。決して満足しているわけではないが、代わり映えのしない同じ道を歩くに違いないからだ。それでもといわれたら、高校の3年間というかもしれない ...

文士稼業

2017/7/24  

性と暴力。人間の本質といいながら、闇に隠すようにしてきたのだが、それを文学というのは「ほら、見てみろ!」と突きつけるところがある。田中慎弥の芥川賞受賞作品「共喰い」がそうだ。17歳の篠崎遠馬が父親にそ ...

シーンレス

2017/8/3  

見えないから、見えている。見ているが、実はまったく見えてない。老人の視覚は新聞、テレビに、車の運転にと、何かに追われるように酷使しているが、何も見えていない。3.11以降、特にそう思えてきた。  2月 ...

「さわり」

2017/7/24  

1967年11月9日、ニューヨークはセントラルパークに隣接するリンカーンセンター。そのエイヴリー・フイッシャー・ホールを埋め尽くした3000人の聴衆は終わった後一瞬静まり返ったが、すぐに割れんばかりの ...

身辺雑感

2017/7/24  

年の瀬から年明けにかけて、いろんな人の情報が交錯する。これを楽しいといったら、愚息からたしなめられた。第三者のように、しかも上から目線で見ているだろう、苦しみ、もがいている人間もいることを忘れるな、と ...

「中国朝鮮族を生きる」下

2017/7/24  

「死ぬ日まで空を仰ぎ、一点の恥辱(はじ)なきことを」。韓国の国民詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の「序詩」の一節である。これを諳(そら)んじない韓国人はいないという。そして、この詩人もまた抗日独立運動の ...

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