ケアタウン小平

終(つい)の棲み家はやはり他人任せにはできない。いや、自分の死に場所といい直しておこう。これを自分もはいることを想定しながら、企画レベルから考え、同志を募り、実現できるものならしてみたいと思うようになった。
 この1年余り、両親の介護で、デイケア、訪問看護、ショートステイ、グループホームと多くを経験した。その間、母は転倒で入院、すわ大腿骨折かと危ぶんだが打撲で事無きを得、父は心筋梗塞でこれまた九死に一生を得た。施設と病院、福祉と医療の連携がまったく取れていなくて、退院後はまた在宅の振り出しに戻ってしまう経験もした。これは家族にとって、以前にも増して数倍の辛苦をもたらす。在宅ケアの推進を誘導する政策がいかに現実的でないかは誰もがわかっている。財政の窮状から、施設、病院はそれぞれに自らの効率のみを追求し、当事者は置き去りにされてしまっているのが現状だ。これをもって自己責任だといえば、老人切り捨て以外の何ものでもない。
 というわけで、東京小平市にある「ケアタウン小平」訪問をその皮切りとした。電話でやり取りし、18日午後3時に訪ねた。新宿から中央快速で武蔵小金井駅へ、それからタクシーで10分の距離である。昨年10月の完成だが、老人保健施設や緩和ケア病棟ではない。「人が死ぬことは病気ではない。だからホスピスは病院ではない。それは人が住まう家なのです」と、ケアと医療と豊かな人間性が融合した最期の家である。ここからほど近くにある桜町病院聖ヨハネホスピスで、10年以上終末医療に携わった山崎章郎がその限界を超えようと考え、同じくホスピスコーディネーターとして10年以上サポートした長谷方人がハードと運営を担当することで立ち上げた。実験的な新生活の場であり、敷地はほぼ800坪、中庭はフットサルが出来る緑の芝生だ。
 保有するのは?暁記念交流基金で、いわば家主である。1階部分は医師が常駐するクリニック、デイサービスセンター、訪問看護ステーションなどが入居する。往診など地域にも積極的に出かけるシステムになっている。2~3階部分が賃貸アパート「いっぷく荘」で21室が並ぶ。十畳ぐらいの個室だが、プライバシーが守られてベッド、シャワー、トイレが備わっている。食堂兼団欒室、図書室、展望風呂など共益部分がゆったり取ってあり、その他に地域の人との交流を考えたピアノや児童書が並ぶスペースがある。
 応対してくれたのがNPO法人コミュニティケアリンク東京の中川稔進さん。ここの総合運営を担当している。使命感だけで安あがり労働になっていないでしょうね?と最も聞きたかったことで切り込んだ。ほぼ全員が桜町病院勤務を経験しており、山崎ホスピス理念を理解しての働く意味と、この労働を永続させる条件を確立させたいという意味での収支も考えている、いわば自立した働き手だと答えてくれた。さすが、と思わずにおれなかった。そこの利用者および家族は、そこで働く人の労働条件がどうなっているかは、究極利用者にはね返ってくる問題だから、おおいに関心を持つべきだと思うからである。まだ緒についたばかりで、上滑りの面も多いのだがといいながら、確かな手ごたえを感じていることは彼の表情から見て取れた。
 そして驚くことに、「先日も富山から見学に来られましたよ」という。佐藤伸彦副院長率いる砺波サンシャイン病院の一行10人余である。佐藤副院長の「ナラティブホーム構想」はここの理念と同根のものだ。うれしくなってしまった。「いっぷく荘」に倣えば、1ヶ月3食付で197,000円。それが砺波で実現する可能性が高いということになる。「いっぷく荘」はもちろん当初から満室だが、この6ヶ月で3人が静かに死を迎えた。それぞれの尊厳を尊重されながら、在宅に近い環境で、である。できればナラティブホーム研究会にオブザーバーで参加してみたいとも思っている。後日詳報したい。
 ケアタウン小平の小さな試みが、期せずして全国的に散在し、潜在していた終末期医療福祉の可能性を一挙に花開かせるのではないかと思えてきた。ケアタウン小平に隣接する小金井カントリークラブは、バブル期にその会員権は数億円に達していた。その会員達は近い将来、18ホールの半分をケアタウンにしてはどうか、との提案をするに違いないと想像しつつ、帰途についた。
 今回の小平行きは豊かな旅であった。ポレポレ東中野で記録映画「三池。終わらない炭鉱の物語」を見て、駆け足で新宿に辿りつき、劇団民藝の極東軍事裁判劇で木下順二作「神と人とのあいだ 審判」を見ることが出来た。

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