「母べえ」吉永小百合は、ワンピース姿のまま海に飛び込み、クロールで泳いだ。ドイツ文学者である夫の教え子・山崎が溺れるのを救う場面である。原作にあるわけがなく、脚本で山田洋次監督が遊んだのであろう。「吉永さん、ここはあなたの出番ですね。演技の必要はありませんからね」と笑顔で、水泳の名手に話しかけたに違いない。彼女に水泳を教えたのが、昨年10月に亡くなった木原光知子。なにしろ平塚市内のプールで親子水泳教室の指導中に、くも膜下出血で倒れて、あっけなく逝ってしまった。59歳と若かったが、水泳に殉じた人生で、もって瞑すべきであろう。この木原のコーチを受けたからというわけではないが、吉永小百合の泳ぎはきれいである。泳ぎ方がきれいだということは、それだけ水の抵抗がないということ。力任せでは、進まない。水泳は飛行機が浮上するベルヌーイの定理を頭に入れ、抗力と揚力を使い、推進力をイメージしなければならない。したがって、フォームが大事なのだ。
昭和20年の生まれは同じで、早稲田大学でもほぼ在学年が重なる。文学部の学生食堂で吉永が飯を食っていると聞いて、駆けつけていたのである。タモリは、その食べ残しを狙っていたというから、自他共にサユリスト?1だろう。こちらは水泳のライバルを自認している。彼女もそうだが、出かける時には水着を欠かさない。小さなビニール袋に収まって、これほど持ち運びに格好の運動用具はない。余談になるが、持ち運びからすれば、ゴルフ、スキーなどは最悪のスポーツといっていい。費用もそうだ。コストからしてももっと高くてもいいような気がする。設備のメンテナンス、水質、水温のランニングコストは想像以上である。そんなありがたさを、時に誰にというわけではなく申し訳ないと思っている。
さて、その彼女のバタフライを見てから、負けてたまるか、となった。実はバタフライは難しいと敬遠していた。我流では出来ない泳法である。なにしろ1933年にアメリカで、平泳ぎのスピードアップを狙って生まれたのだ。1回の両手ストロークに、2回のドルフインキックだが、いかにタイミングよく打つかがポイント。コーチとの過度な接触も煩わしいと、マイペースを貫いていたのだが、ついにコーチにお願いすることにした。昨年10月28日のマスターズを終えてからのことだ。40歳離れた孫娘といっていいコーチに頷きながら挑戦し、目標は初泳ぎにバタフライ50メートルと定めた。60歳過ぎても心素直になれるというのは、スポーツしかありえない。1月9日、必死に50メートルを泳ぎ切った。こんな達成感がこの年齢で味わえようとは、とにかくうれしかった。
「母べえ」の原作は野上照代の「父へのレクイエム」。野上は黒澤明監督の「生きる」以降、スクリプターをやっている。スクリプターというのは、映画・ドラマの撮影では、シーンやカットを台本順ではなくバラバラの順番で行うから、撮影シーンにおけるあらゆる事象・物体・セリフ・撮影方法・時間・台本と違う箇所などを記録し、芝居やシーンがうまくつながるよう管理する仕事だ。山田に黒澤監督を紹介しているのも野上という奇しき縁だ。どんな人間に出会うかは、大きな“はからい”のうちにあるが、他力だけではないことも確か。仕事で分け入っていく努力がそうした“はからい”を生むといっていい。
そういえば、水泳ボケをしているわが身は、「母べえ」に出てくる炭屋のおっさんに似ている。12月8日、真珠湾攻撃の知らせに、これですっきりしたという。日本は、いまはドイツと仲良くしているが、やがてヨーロッパはドイツが占領する。アジアは日本が占領する。そしてそのドイツと最終戦争をやって、日本が世界を征服するんだ。あまり大きな声でいえないが、今にそうなるからね、と母べえにささやく。
道路財源の暫定税率をめぐる国会論議を聞いていると、みんな炭屋のおっさんじゃないかと思えてくる。
泳ぐ「母べえ」