年の瀬ながらさりながら、古稀を過ぎれば平常心を保ちつつ、心地よい出会いにもう少し生きてみようかという希望を感じたい。とにかく動くことである。
「ニューヨークで個展をやれたら、と思っている」。「まだそんな意欲が残っているのですか」。驚きの余り、先輩である83歳の画家に対して、つい口がすべってしまった。11月7日~12日東京・シロタ画廊での個展が終了したのを見計らって、慰労を兼ねて富山・滑川のアトリエに訪問した時のことである。先輩から希望の贈り物である。お調子者の面目躍如というか、クラウドファンディングで個展の出資者を募って、2年後の85歳をNY個展をぜひやりましょう、と応じた。9.11米同時多発テロの際に、彼の娘さんが間一髪で命拾いをしている。その時から画風が変わったというか、メトロポリタン美術館の前景を細かいモザイク風に描いた大作を描きあげた。加えて、ニューヨーク富山県人会の土肥信一会長が金沢美術工芸大学の同期だということもある、と察した。しかし、「どこも社長室にも印象派の絵しか飾られていない。現代美術にもっと目を配り、自分はこの絵が好きなんだという主張がないのか」という発言を聞いて、自分の作品がもっと評価されていいのでは、という思いが強いのだと思い知った。こんな野心をこの齢で持てるということは、表現手段を持つ芸術家ゆえということになるのだろう。
にしのあきひろの「えんとつ町のプペル」の例を挙げながら、クラウドファンディングの可能性に賭けて遊んでみましょうといったが、その責任というか、まだやれることを与えてもらったという気持ちでわくわくした思いを感じた。チャンスは老若を問わない。いいものはいい。世界の誰にでも訴求できる時代だということだ。酉年コンビであって、挑戦可能ということでもある。
「あの人ともういちど」(日本経済評論社)は色川大吉の対談集。今夏の発刊であるが懐かしく面白い。硬骨の民衆史家で、明治の自由民権運動に着目し、美智子皇后も感銘した五日市憲法草案を発見している。文学者・北村透谷の研究がスタートだったが、北村の日記や資料が目的で三多摩の土蔵を200くらい探っていると、古文書の中から予想もしない、埋もれた事件が浮かび上がってきた。取り憑かれるように没頭し、隠し戸の奥から発見したのが、秩父困民党の蜂起秘話であり、憲法草案であった。民衆のエネルギーを余すことなく表現してきた。90歳を超しているがフーテン老人と称しながら世界を歩き、軽妙洒脱で、かくありたい老いの理想である。 その色川大吉が、作家の色川武大(安佐田哲也)、女性史家の山崎朋子、民俗学者の宮本常一など20人と、自由に放談しているといっていい。
冒頭を飾るのが同姓でもある色川武大で、初対面という。ペンネームの安佐田哲也は「朝だ!徹夜だ!」の徹夜マージャンの意味である。作家にしてギャンブルの神様といってよく、伊集院静が「いねむり先生」で人柄の魅力、行状を余すことなく活写している。色川姓は那智勝浦が起源で、後醍醐天皇を擁して吉野を脱して、色川党と呼ぶ水軍で活躍するも関東に落ち延びたという記録があり、その末裔という。直木賞作家でもある武大は陸軍高級将校でもあった父親に反逆して、ギャンブル、酒びたりという道楽の生き方を選んだ。しかし、作家としての仕事は捨てなかった。自分の出自を江戸時代まで遡って大河小説を書きたいと思い立ち、「あなた(大吉)の歴史の弟子にしてくれ」と申し出、岩手・一ノ関に書斎を構えたが、その矢先に病で倒れた。この対談から5年後のことで、享年61。大吉は天を仰いで嘆いた。
宮本常一の対談は、民衆史と何か。本当の生産の根幹をなしたのはトップではなく、民衆だということ。生産しようとする意欲を持つ人間の存在と、それに応える人々の存在が必要であり、とりわけ創造の裏のカギを握っているのは民衆の中の小リーダー、つまり“たばねる人”が欠かせない。可能性や能力を民衆よりも一歩先を自覚して先駆的に形で示していく人が、歴史変革のカギを握っているのではないか。NHK大河ドラマの対極にあるのだが、いまも変わらない。人生1回と思えば、民衆蜂起のチャンスを狙うべきである。
さて、あの人ともういちど、というと、あなたはどれだけ指を折れるだろうか。こちらから望んだにしても、断られることもある。古希を過ぎて思うのは人生のバランスシートだ。まだまだ負債の方が多いのではないか。意識しないままに手を指し伸ばしてもらっていることもあるのだから、数え切れない。でも、返していく心意気は生きていくものの矜持でもある。これを失っては話にならない。
年の瀬、恒例の餅つきは25日に終えた。有馬記念は当然ながら外して、昨年の借りを返した気分である。NYでの個展も夢であるが、ぜひやってみたい。つまらない人生を面白く、これしかあるまい。
この1年のお付き合い、ありがとうございました。店仕舞いもよぎらないわけではないのですが、どうしたもんだろうというところです。どうか、皆さんいいお年を!
「あの人ともういちど」