「地蔵千年、花百年」

文学というのは著者と読者との豊かな対話である。死を遠景に見る年齢になった柴田翔が約30年ぶりに長編小説を文芸誌「季刊文科」に発表した。「地蔵千年、花百年」(鳥影社)。570枚の書下ろしはベーリング海峡を渡り、南米に達したモンゴロイドの拡散を基調とする壮大さである。生の確かな感覚を獲得するために小説を書くというが、それは読む者にも伝播する。そんな実感が読後にゆっくりと染み込んでくる。柴田翔81歳と71歳の読者が人生を重ね合わせるように、心豊かな時間が共有できた。「されどわれらが日々」を読んだ日々が懐かしい。
 主人公・加見直行(かみなおゆき)は工学系の院生だった時に古びた温泉宿で、革命を目指す活動家リーダーで、今は南米の小国を拠点とする沖神介に出会い、「行きますか」に「ええ」と応えて単身その小国にわたる。そこではラジカセなどを輸入し、そこの特産物を輸出する。その小商いで彼らの活動を支えようという思惑である。スタッフもしっかりしていて加見はそれなりに馴染み、スタッフ補助のグレティーナと同棲するまでになって、彼女は身ごもる。キューバ革命の余波もあり、政情不安定の中で、突然加見に国外退去命令が出る。やむなく引き裂かれるように帰国したのだが、その貿易の受け皿事務所を立ち上げるような配慮もあり、安定的な生活がもたらされ、都心の老朽ビルに事務所と近郊の商店街を抜けたところに住宅を得る。成り行きに任せるように妻の晃子が加わり、長男・彦人が生まれる。昭和を象徴するような商店街の推移、事務所の秘書との関わり、小国からは左翼系人士が集った伝説的喫茶店「異端門衆」の調査依頼が舞い込むなどそれなりの日常が綴られる。
 さて、転結である。晃子ががんに罹り、50歳手前で病没する。彦人は仙台の大学院で考古学の論文をまとめた後、四国のミッション系大学の講師を経て、アメリカの大学での准教授ポストを得る。そこで同じ大学で人類学を専攻する黄褐色の混血ヴァルレと結婚し、ニカという男の子を得る。初孫を見るために、加見は南米の小国とアメリカへの旅に出る。小国でグレティーナが女の子を産んだ後すぐに亡くなったことを知る。何とそれがヴァルレであったのだ。同じ父親をもつ二人が偶然に偶然を重ねて結婚したのである。幼いニカは何万年前に漂着したモンゴロイド、南方系コーカソイド、アフリカ系のニグロイドなどが混血を重ねた母と、日本というモンゴロイドの典型を父に生まれた。つじつまが合わないのが人生といいながら、戦後の記憶の断片をつないでいる。
 柴田翔の人生に対する思い、それはいつも断念に近いものだが、随所にある。すべての人間は、無数の死者たちについての思いと記憶の断片、そのゆるやかな渦の中から生まれてくるの。宇宙に自分が存在したという痕跡は何も残らない。とりわけ妻・晃子を失った時の思いは同じ境遇ゆえ共振する。亡くなった直後の、深く虚しい解放感へ引き込まれていった、は秀逸な表現である。同じく墓に納めなかった骨壺は、半ばは伊豆の山に撒き、半ばは海に戻している。こちらも、そろそろ急がねばならない。
 「季刊文科」は書店、図書館にもなく、直接送ってもらった。というわけで、残部数も残り少なく、手に入りにくい。そのことを承知しておいてほしい。
 そしてまた訃報である。内向の世代と称された作家・高井有一が10月26日亡くなった。「北の河」で芥川賞を受賞したのが66年。学生誌にインタビュー記事を載せようと、四十木敏夫と一緒に大阪の共同通信文化部に高井を訪ねたのは69年、大学2年の時であった。向こう見ずな行動にも関わらず懇切な対応をしてもらった。ご冥福を祈りたい。

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