曩時。「のうじ」と読むが、これが小説の冒頭に出てくる。さきごろ、昔、往時という意味だが、「曩時北町貫多の一日は、」と続くと、読ませたいのか、読ませたくないのか、はっきりしろといいたくなってくる。最初から辞書を引かせる気か、それも広辞苑である。もし、ふりがなが付いていなければ、漢語辞典を日の部から引かなければならない。腹立たしい思いで読み進むことになった。芥川賞受賞作「苦役列車」である。
今年の芥川賞だが、貴の朝吹真理子か、賎の西村賢太かとなれば、親近感からしてやはり後者である。中卒、フリーター、前科者の私小説と続けば、やはり手にしないわけにはいかない。16万部を突破する勢いという。まあ、ご祝儀だという気持だが、師と仰ぐ藤澤清造の全集を自費で刊行するという殊勝さに寄付すると思えば腹も立たない。いや待てよ、西村はこうした上から目線を予測して、「曩時」を冒頭に書き出すことで、中卒コンプレックスの意趣返しをしているのではないか。「慊さ」もそうである。「あきたりなさ」と読むが、コンチクショー、このひねくれ者と思わないわけにはいかない。
さて北町貫多だが、日雇いの1日5500円がすべてで、酒と風俗に使い果たす。唯一の友人となる男との心理戦でも疲れ果て、孤独、破滅へと自ら突き進む。これは19歳の西村に他ならない。これでもかという自虐と露悪趣味で迫り来て、いまさらながら私小説の臭さを突きつけられる。最も高く評価する批評子は「現実においては悲惨しかもたらさない格差も、文学においては豊穣を意味しうることがわかるだろう」と絶賛する。なぜか少し年長の私小説作家・佐伯一麦とかぶって見えてくる。老人はこの一作で十分である。感受性がもうくたびれてきていることもあるのかもしれない。
文学賞作品との出会いは、永井路子の「炎環」に尽きる。64年の直木賞であるが、大学に入ったばかりで、活字に飢えていた。永井が東京女子大卒ということもあって、貪るように読み進めた。鎌倉幕府の誕生から崩壊まで、歴史というのはこういうものなのか。活写されるダイナミズムに酔い痴れたといっていい。女流作家が「吾妻鏡」をボロボロになるまで読み込み、想像力を隅々まで巡らして、虚実を読み取る。戦時中の大本営発表の経験も大きく、都合のいい記録の改ざんは許さない、透けて見える権力のカラクリを見逃してなるものか、との気概をも感じとることができた。
同じ伝でいえば、杉本苑子の「孤愁の岸」もそうである。62年の直木賞だが、幕府から木曽川、長良川の治水を命じられた薩摩藩の苦闘を描いている。藩財政逼迫の中、洪水と疫病発生で病死者202名、自決者50名という犠牲を乗り越えて、完成に漕ぎつく。総奉行・平田靫負(ゆきえ)はいいようのない敗北感を抱いて、腹を切る。幕藩体制の厳しさを、学徒出陣や特攻隊にだぶらせて描くものだが、歴史が目に見える形で突きつけられたのである。高校から大学への階段を登ろうとしている時に、大きな踏み台になったことは間違いない。
そういえば、東京女子大の大学祭に招かれたことがある。わが高校同期から浜松北高校出身という女性を紹介された。その洗練された容貌、ものごしに瞬時に圧倒されてしまった。老人が西村賢太に、北町貫多になったのである。新宿・紀伊國屋書店で待つこと3時間余。待ち人来たらず、ふらふらとたどり着いた新宿西口しょんべん横丁で、コップ酒を何杯もあおったのであった。苦い思い出である。
私小説は、人生の蒼い時に重ね合わせるものでもある。誰しも秘めている心の弱さや醜さが大きく露出するのも、そんな年かさの時だ。西村は現在43歳。このブームとなる一時をどう過ごすかにかかっている。
「苦役列車」