京都、大阪、尼崎の旅(上)

 5月9日、雨の予報に傘とレインコートを用意し、北陸新幹線に飛び乗った。京都、大阪、尼崎とめぐる旅であるが、京都・宇治市ウトロはおまけであった。京都駅に降りたってウロウロしていたら、近鉄京都線乗り場が目の前に現れた。伊勢田駅まで360円、25分前後。富山からの傘が後押ししてくれた。大きな空き地を囲むように団地があり、団地に隠れるように3階建てのウトロ平和祈念館があった。

 21年8月30日、22歳の青年によるウトロ放火事件には衝撃を受けた。平和祈念館建設に反対だといって、展示資料も焼失させてしまった。コロナ禍で福祉の仕事が継続できず、金銭的時間的な余裕がなくなり、ウトロが許せないというのが動機。差別主義者として居直り、謝罪もしていない。一方、ウトロの住民は自らの身が焼かれた思いだと悔しがった。

 ウトロは戦時中、国策の飛行場建設で集められた朝鮮人労働者の飯場だった。日本の敗戦によって何の補償もなく「置き去り」にされた朝鮮人労働者とその家族は、ウトロに留まり、厳しい環境に負けず懸命に働き、助け合いながら生活を築き上げた。しかし地権者から約80世帯380名が土地明け渡しを求められ、裁判に訴えるも住民は敗訴した。その後、市民や韓国政府の支援で土地を購入し、住民の立ち退きは避けられた。そして従来から構想されていた街づくり構想が実現し、公的住宅を整備され、希望する全住民が入居した。更に22年4月30日、ウトロ平和祈念館が完成した。これが無ければ、その歴史は忘れ去られていたに違いない。

 朝鮮植民地支配の最後の生き証人を自認している身である。入館料500円だが1000円を出して、おつりはカンパといい、サポーター募集にすぐサインして年会費6000円を支払った。オープンカフェには5人くらいだったが「富山から来た。45年朝鮮光州生まれ」だと自己紹介させてもらった。加えて、土地を奪い、米を奪い、命までも奪った植民地支配のすさまじさにも言及した。みなさん、初めて聞くという表情だった。3階の特別展示場は「ガザ・パレスチナ ソムード(抵抗)」で、連帯の強い意志が示されていた。

 帰りは雨の中歩くのも大変なので、タクシーを呼んでもらった。快速も止まるからと近鉄線大久保駅にしたが、何とウトロは自衛隊大久保駐屯地に隣接している。平和を祈るウトロが自衛隊の傍という取り合わせに奇異な感じがした。

 さて、京都の夜は新湊小同期の矢野忠と飲んだ。鍼灸の第一人者で、今も明治国際医療大学鍼灸学部に属している。鍼灸の保険診療化が進まず、鍼灸医が窮地に追い込まれている例が多い。高齢化が進む中で、患者のQOLが維持できる東洋医学こそ、緩和ケアに必要不可欠な治療なのに歯がゆいと悔しがる。韓国は鍼灸がきちんと保険適用され、いきわたっている。ウトロから広げるのもいい。何かきっかけが欲しい。80歳にして、この情熱だ。いい酒だった。

 

© 2025 ゆずりは通信