「シリア情勢」

覚束ない認識であるが、シリアの惨状には胸塞がる思いがする。シリア政策研究センターの公表では、この6年間で47万人が死亡、190万人が負傷し、総人口2300万人の46%に相当する1000万人強が住居を追われ、うち636万人が国内避難民となり、311万人が難民として国外に逃れ、また117万人が国外に移住している。発端は10年12月チュニジアでの焼身自殺に端を発した反政府デモがきっかけのジャスミン革命。「アラブの春」と呼ばれる民主化革命は燎原に火を放つように広がった。アラブの春は国民が「恐怖の壁」を打ち破ることで発生したと説明される。体制転換を果たせたのはチュニジアのみで、限定的な改革を獲得しても、その多くは収拾し難い混乱に苛まれている。シリアも例外ではなく、人々は抗議デモを通じて、恐怖の源泉である「独裁」に立ち向かおうとした。だが、「独裁」による更なる暴力を招いただけでなく、内戦の混乱の中で、日常と安定の喪失という、より深刻な恐怖をもたらしてしまった。アラブの春の最悪の失敗例ともいえるが、悲劇としかいいようがないと片付けていいわけがない。短慮な老人は、こんな衝動に駆られる。アサド大統領よ、あなたにとって祖国とは何か。胸倉をつかんで大声で迫りたい。そんな思いのところに、岩波新書「シリア情勢―終わらない人道危機」の書評を目にした。著者は青山弘之・東京外大教授だが、同大アラビア語科を出て、30年近くシリア政治研究に携わり、ダマスカスにも2年余り住んでいる。発刊の思いがいい。
 感情の赴くままに、憤りや憂いに訴えかけるような記述ではなく、無責任なアプローチを避け、シリア内戦を可能な限り、冷静、ないしは冷淡な記述を心がけた。なぜなら、地に足のついていない机上の空論や個人的な主義主張によるシリア内戦の評価こそ、現実への理解を妨げ、シリア内戦を終結させる機会を奪ってきたからだ。実態に即してシリアを見つめ直すこと。それが事態打開の第一歩だと確信する。
 シリアはその地政学な立ち位置から、イスラエルとの対峙が政策の基軸。ロシア、イランがその後ろ盾となってきた。内戦はアサド政権が民主化デモに過剰な暴力で対応したことが発端だが、デモを行った側も確たる政策を持っているわけではなかった。いわゆる反体制派も三つくらいの組織があり、そこでも主導権争いがあり、軍を離反した部隊「自由シリア軍」がからまった。更にそこに加わったのがアル=カーイダで、ヌスラ戦線とイスラーム国がその役割を担っている。そうした混乱を端的に表しているのが外国人戦闘員の数である。シリアとイラクでは100か国以上から3万人を超える戦闘員が駆け込んでいる。イスラームの宗派対立も複雑で、アサド自身はアラウィー派に属しているがシーア派多数のイランからの支援を受けている。一方反体制派はスンナ派が多数を占め、サウジアラビア、トルコから支援を受けている。
 とはいえ、アサド大統領はどんな人物なのか。63年に起きたバアス党による政権掌握クーデターで父・アサドが絶対的な権力を掌握して大統領となり、卓越した政治手腕で中東随一の安定した強い国家に躍進させた。70年に父の死を受け、その地位を世襲した。実は兄がいて、彼こそが帝王学を施されていたが、交通事故で不慮の死を遂げてしまう。ロンドン留学中であった現アサドは眼科医を目指していたが帰国し、後継者の道を34歳で歩み始めた。そんな経歴もあり、近代化、ハイテク化、グローバル化といった改革志向を強めていた。妻も英国生まれでJPモルガンの職歴もあり、砂漠のバラと呼ばれている。そんな改革志向も父から引き継いだ強権体制の中では実行されるはずもなく、支配体制は許すはずもなかった。
 はてさて、「人権」「主権」「テロとの戦い」の正義を振りかざす外国の政府やメディア、外国人戦闘員がシリアの人々に代わって、この国の行方を決定する存在となった。そこにゆだねるしかない。どんな形であれ、何より内戦の終結に向けて急ぐしかない。哀しく、無力な結論である。
 北朝鮮の無謀な挑発の乗ることをテコに、大きく国の形が変えようとする勢力がますます増長するようになっている。シリアをしっかりと見て、もう一度考えようではないか。

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