6月5日朝日新聞の書評に懐かしい名前を見つけた。三宮麻由子著「わたしのeyePhone 」(早川書房)。ちょうど20年前の2004年7月4日、魚津で立ち上げたばかりの森の夢市民大学の講師に招いたのが彼女だった。市民大学開設に関わった小林和男・NHK解説委員が、彼女の話を聞いて感動しない人などいない、と推薦した。年間1万円の会費を払った1200人の会員がひしめく会場は、彼女の登場に水を打ったように静まり返る。壇上でテープレコーダーをかざしながら、雑音にしか聞こえないテープを回した。何と英語で話す海外ニュースを3倍速で聞いている。それを翻訳して日本語にまとめ、配信するのが彼女の仕事。時間が勝負の仕事で、同時通訳をはるかに超えるレベル。驚くのは、何と彼女は眼が見えないのだ。国家<主席>、<首席>補佐官を使い分け、会議の<招集>、国会の<召集>など表音から表意に転換する困難さを思うと、こちらが言葉を失ってしまう。
こんな才能をどのように獲得したのか。66年生まれ、4歳の時にウイルスによる炎症で一日にして光を失った。幼稚園から高校まで筑波大学附属盲学校で過ごし、高校部の時にアメリカのハイスクールに単身で留学する。帰国し、点字受験で上智大学仏文科に入り、外資系通信社の翻訳チームに就職。更にいえばエッセイストとして、98年に「鳥が教えてくれた空」、01年に「そっと耳を澄ませば」を上梓している。大きな夢は一応すべて叶えることができたが、とにかく忙しかったと述懐する。
さて、スマホとの出会いである。2011年秋、いつも使っている画面読み上げ機能付き携帯電話「らくらくホン」が不調になった。たまたま同窓の友人がスマホを取り出して、切り替えた方がいい。サポートするからといってくれて、母と一緒に家電量販店で買い求めた。彼女は今、マンションにひとり住まいだが母の心強いサポートが支えてくれている。スマホに切り換えてから、朝出かける時はスマホで自分を映し、服装を母にチェックしてもらうことが日課になっている。更に問診票だ。今までは病院スタッフなどに読み上げてもらっていたが、知られたくないこともあり、恥ずかしい思いもしていた。それがスマホのアプリで誰にも知られず、自分でできるようになった。晴眼者には取るに足らない便利さが、シーンレスには自分の尊厳を守ってくれる革命的なツールにみえる。
確かにバリアは解消される方向に向かっている。しかし一方で、映画などは副音声解説を聞きながら見れるようになったが、実際映画館でやってみると「何やってんだ、場内はスマホ禁止だろ」と怒鳴られることがあった。革命的なスマホが、全否定されたようで悲しかった。眼が見えていても一人ひとりの視力が違うように、ちょっとした寛容さと多様な存在を認め合う文化こそ、スマホの可能性を伸ばしてくれると思う。
森の夢市民大学は亡き筑紫哲也との出会いから生まれたのだが、わが生涯のヒット作といっていい。