非情銀行にしてなるものか

すべての金融機関がこのデフレ経済の下で軋みをみせている。時に悲鳴に近い声も聞こえてくる。処理しても処理しても賽の河原に石を積み上げるように、際限なく不良資産が湧き出てくる。現場の無力感は想像以上だろう。そして、生き残りの決め手といわれるより巨大化への合併再編、公的資金の導入にしても、現実はどうか。何かが狂っているとしかいいようのない事態が起きようとしている。

みずほ銀行富山中央店&富山支店。興銀、第一勧銀、富士の3支店が統合しての富山県内2支店だ。3ひく1=2。支店長、次長はそれぞれタスキ掛け、いや三筋掛け。日常業務もギクシャクしがちなのに、スタートから激震が走る。ご存じシステムの大混乱。「それだから、いわないことではない」。行員の誰もがこんな言葉を飲み込む。みんな信じていない。大きな難破船に乗せられて降りるに降りられない。ただただオロオロするだけなのである。興銀出身のOさんはいう。合併前に興銀の若手200人が外資系などに転職した。給与は興銀、第一勧銀、富士の順であったのを第一勧銀に合わせた。40歳のOさんで月10万の減収という。いかに興銀のベースが高いかということでもあるが。小人数の興銀いじめが始まるのは読めていた。合併の経験のある第一勧銀はその恐ろしさを、おぞましさを知っている。30年掛けて融合を目指してきたのに、今またという徒労感がにじむ。山一の痛手が癒えない富士は、最初はおずおずしていたが、これでは先行きがないと乗り出してきた。システム不備の原因もそこに由来する。考えてもみてください。他行のシステムで決まれば、他の2行の職員は一から勉強しなければならない。そのハンディは大きいですよ。一度は聞けるけども毎度というわけにはいきません。リーダー不在というよりも、銀行ではリーダーが育たないシステムなのです。国会で「実害はない」といった富士出身の前田社長にしても、いわば温室育ち。大蔵省銀行局が最高で、山本富士頭取のお小姓さん。現場がわかるわけはありません。Oさんの気分が晴れない日々が続く。

それではと手にしたのが「非情銀行」(新潮社)。大手銀行の中枢を知る幹部行員が書いたというもの。鳥肌立つリアリティと帯封にあるがその通り。一気に読ませた。最初書店に山積みとなっていたが、書評が各紙に掲載されるに従って売れ出したのであろう。5万部を突破したらしい。やはり気になったのが黒い人脈。総会屋に取り付かれて、これでもかと脅され、貢ぎ続けたのは数年前。頭取人事まで左右され、この黒い人脈を引き継ぐのが頭取へ上りつめる必須の条件。大阪高検の検事が暴力団とつるんでいたことも、不良債権の背後に巣食う暴力のうごめきがいかに根深いかを物語っている。その清算ができての合併なのであろうか。人材開発室なる牢獄も気になる。似たような現実があるのだろう。

しかし、その現場にいる従業員はたまったものではない。自己資本比率がどう、中小企業貸出比率がどう、といわれるたびに右往左往させられる。何よりも企業内にあっては「君たちはコストだ」と人間扱いされず、外にあっては中小企業の経営者に貸し剥がしなどで鬼のようにいわれ、また不良債権の回収では、その暴力の矢面に立たなければならない。

公的資金の導入についてもいえる。すべてが金融庁の意向通りとなり、また進んで金融庁にへりくだるという体たらくとなっている現況は、どうしたものか。北陸銀行、足利銀行もそのように見える。これでは郵政の民営化とは逆に、銀行の国有化が始まるのではないかと思わせる。これではだめだ。

地域金融のあり方も自分たちで考えよう。昨年末北陸銀行へ400億円近い増資に応じたのである。地域の底力はまだ捨てたものではない。この400億円を地域にしか回らない金、地域通貨にしてもよかったのではないか。素人の荒唐無稽ではない。時にグローバル、時にローカルと二つの基準(ダブルスタンダード)をもてあそぶ方がおかしい。

いずれにしても、人間回復の経済学、経営学。これを急がねばならない。偶然か、幸いなことに岩波新書「人間回復の経済学」が上梓され、著者の神野直彦さんから送られてきた。地域経済を考える、いい機会にしたい。

© 2024 ゆずりは通信