庭にあった樹齢100年は越すと思われるケヤキを伐ってしまった。落ち葉が隣家や路上に散らばり、老人世帯では近い将来始末に終えなくなると判断したという。植木屋はお祓いをし、幼木をそばに植栽して、木の霊をなぐさめてくれたのでほっとしている。そう静かに語る彼は肺がんから脳に転移したが、脳の方は放射線で何とか除去して足に及んでいた障害も回復し、小康を得ている。中学以来の親友で、昨年の10月に症状が明らかになった。最後の下り坂を前にしているのだが、表情は負けてはいない。
その告知を受けてから、近藤誠の本をむさぼり読んだ。そして、がん放置療法を決めたのである。1ヶ月に1度大学病院に通い、レントゲンで進行状況をチェックするのだが、担当医から手術、抗がん剤治療を強く勧められるが拒否している。毎日読書をし、愛犬と遊び、晩酌を楽しんでいる。傍らの奥さんも、この人はやまいぐるしいので抗がん剤などをやっていたら、今頃私の方が倒れているわ、とこの選択を断固支持している。
近藤誠のブログをみると、「がん放置療法のすすめ」(文春新書)、「医者に殺されない47の心得」(アスコム)が100万部を超える支持をいただき、慶応大学病院の私の外来の初診予約も、これ以上お受けしかねる状況です、となっている。そして定年を前に「近藤誠がん研究所」を立ち上げた。完全予約制のセカンドオピニオン外来で、東京・渋谷の「青山劇場・こどもの城」裏手にある。近藤支持層が確実に増えているのがわかる。
一方で、この対極をいく友人もいる。彼も中学同期であるが、アスベストによる中皮腫で、素直に医師を信じて抗がん剤治療に挑んでいる。昨年の1月に入院して、強度の抗がん剤をそれほどの副作用も発症せずにクリアして、医師に褒められた。その後は定番の抗がん剤アリムタを20回も通院で飲んでいる。2階に上がるのが辛くなってきたので寝室を1階に移しているが、体調は変わりなく、1本のビールを毎晩欠かさない。4月にはオーストラリア行きも決めている。最後になって中皮腫などになったが、ラッキーな人生であったという思いは変わらない。自分の人生を肯定的にみている。抗がん剤に強いというのも、生来の楽天気質からきているのかもしれない。
このふたりを見ていると、医療は確実に変わってきていることを実感する。何が何でも治療する医療から、生活を支える医療へという具合で、あくまでも本人の生活の質を向上維持させるものかどうかだ。60年以上も生きてくると、自分の健康状態は自分が一番よくわかっている。当然、患者像も変わってきている。特権的医師に従属的に従うだけでない患者が増大しているといっていい。自分が中心となって医療、介護のサービスを選択する時代の到来でもある。
医療倫理を専門とする金城隆展・琉球大学附属病院地域医療部臨床倫理担当によると、腑に落ちる、ということが大事だという。医学的な適応では診断と予後の情況を聞き、リスクと効果を比較考量する。患者の意向として治療に関する希望を話し、説明を求め、そして同意する。生活の満足度充実度をどう評価するか。加えて、家族関係や経済状態、宗教などの周囲の状況をその文脈の中で話していく。この4つの分野をチェックした上で、腑に落ちる結論が得られるかどうか、ということになる。少なくともこのふたりは腑に落ちた選択をしていることは間違いない。
はてさて、朝日新聞3月8日「終わりと始まり」での池澤夏樹の論は秀逸であった。国土の脆弱性だけでなく、文化と国民性から判断しても、他の国はいざ知らず、我々は原発を動かすべきではない、と断言している。これぞ腑に落ちるというものだ。
がん治療。ふたりから