行くも地獄、退くも地獄。さりとて、先送りをしても差し迫る重圧に、これまた地獄の日々。沖縄の米軍普天間基地をめぐる民主党政権の内部は、恐らくそうではないかと想像する。政権交代を支持したあなたにも、一端の責任はあるはず、と迫られたら、どうしようと老人党も同じく悩んでいる。右顧左眄する政治の消費者になるな、といったのはどこの誰?「プロ・コンシュマー(生産する消費者)」を目指せといったのはどこのどなた?顔をみせない性悪女が迫ってくるようでもある。攻める時には強そうに見えるが、攻められと気弱なところがモロに見えてくる。しかし、今回こそ踏ん張るべきだろう。
選択肢というが、いずれも立ちはだかる障害には相当の覚悟がいる。「辺野古」案に戻すにしても、これだけこじれたらすんなりとはいかない。大言壮語しただけに、何にもできないのなら、最初から大口叩くな、という世論の反発は大きなダメージだ。嘉手納基地への統合案にも、既に反対デモが行われ、13年前にやった議論の蒸し返しは許さないと一蹴している。米軍再編を白紙に戻し、当面普天間をそのままに使用していく先送りにしても、優柔不断な政権イメージは致命的だ。加えて、日米同盟は大きく失墜することになる。
その一方で、米側からは恫喝に等しいリークが聞こえてくる。軍部とか議会筋のものだが、反米路線に転じたと見なしてしまうとか、年末に控える米議会では、在沖海兵隊のグアム移転経費の審議が頓挫すれば、元に戻すのは困難とか、だ。
さて、ここが思案である。袋小路の追い込まれたとするは、やはり凡の極み。ここは、ABC案という選択肢ではなく、創造的なD案を死ぬ気で考えることである。歴史の大きく向かうところに沿うことだ。戦後64年縛られてきた救世主・米国から解放される時がきているのではないか。もちろん急ハンドルではなく、意を尽くして米国を説得すべきは論をまたない。民間でも、ニューヨークタイムスに「沖縄の現状から」という意見広告を掲載する運動があってもいい。フルブライト奨学金で学んだ人たち、戦後米国から供給された脱脂粉乳給食で育った世代などなど挙って、メッセージを発すべきだ。ここは、民主党のお手並み拝見という高みの見物は避けなければならない。自死した盧武鉉・前大統領は就任当初、その反米的な言動から、小泉首相とは対照的にキャンプデービットに招かれず、邪険な仕打ちを受けたのを思い出す。鳩山、岡田を孤立させてはならない。党側の小沢一郎も「日本の防衛は第七艦隊だけで十分」という自論を国民に向けて発するべきである。
朝日新聞コラム「経済気象台」は大胆だった。膨大な負債を抱える関西空港を米軍に提供すればどうか。安全保障がそれほど重要ならば、このくらいを受忍できなくてどうする、そんな論調である。荒唐無稽と退けないでおこう。本質を穿っている。
駐日大使に目されていたジョセフ・ナイ教授が、日経インタビューで「日本が米軍駐留を望まないのならば撤収を求めることはできる。そうなれば米軍は撤収する」と明言している。脅しのようにも聞こえる。米国外交の意思決定がどこにあるのか、オバマ大統領の権力行使に最も影響力のあるのは誰か、もっと探るべきであろう。和製キッシンジャーもできれば、裏面工作としてほしいところだ。内閣官房機密費もこんな時にこそ、使うべきだろう。
老人党も必死で考えているのだ。ちょっとした難事に、移ろいやすい民意は、後だしジャンケンよろしく、それ見たことかといい出しかねない。政権交代にはそれなりのリスクがあるのは仕方がない。そんな覚悟もなく、選んだのではないだろう。また、民主党も4年任期を与えられたと取るべきではない。大胆な安全保障策で、待たずに民意を問う、という潔さも不可欠。そのくらいの迫力がなければ乗り切れないことを肝に銘ずるべきだ。
「普天間」を乗り切る