スタニスラフスキーへの道

 弱さの中の強さ、強さの中の弱さ。ものごとは直線的に進むわけではなく、らせん状に曲がり落ちたり、急速に上昇したりする。そんなことを自らにいい聞かせて、衆院選結果をのみ込もうとしている。いまは語りたくない。根が付和雷同的な性格なので、誰かのいい分を自らのもののように言い触らしては弱さのままである。いまこそ内に秘めて、醸成期間を置いてじわっと立ちのぼる思いを待つしかない。待っても出て来なければ、それまでのことである。

 というわけで、思いがけず手にした高齢者劇団・さいたまゴールド・シアターの俳優挑戦記録「我らに光を」(河出書房新社刊)が今回のテーマ。2009年、井上ひさし原作・蜷川幸雄演出の「ムサシ」をのこのこ彩の国さいたま芸術劇場へ出掛けた時に、そんな劇団がスタートしていると知ったのだがこんな風に成長しているとは何となく勇気が出てくる。70歳を過ぎて、芭蕉の「昨日の我に飽くべし」の一言が突き刺さる。失うものがないくせに、つまらないものにこだわって踏み出せていない自分に腹立たしいのだ。

 06年の団員募集要項である。募集20人。「満55歳以上」「劇場で行われるレッスンに通えること」とこの二つだけ。オーディションの課題は、男はシェークスピア「リア王」のリアか、チェーホフ「三人姉妹」のチェブトイキンのせりふを、女は三島由紀夫「卒塔婆小町」、チェーホフ「三人姉妹」のせりふをそれぞれ選んで演じること。こんな難問に何と1226人が応募した。蜷川は、応募してくれた人たちの長い人生を軽視することになると応募者全員の演技を見るべきだと主張し、15日間を選考にかけた。絞り込めずに48人を選出したのだが、基礎レッスンは演技、ダンス、日本舞踊、発声などで、1日4時間、週5回、これを1年間続けた。そして第1回公演が07年の「船上のピクニック」。その間にひとりは亡くなり、病気もあり、41人になっていた。

 現在89歳の森下竜一はいう。長崎のキノコ雲を30キロ離れた大村航空隊から見たのだが、何とか助かった。30歳頃に貿易会社に拾ってもらったが好きな合唱だけは続けてきた。音楽表現に磨きをかけたいと応募したが、オーディションで必死に覚えてきたセリフをいった時に、蜷川が「森下さん、もう1回やってみて。今度は少し動きを入れて、泣いたり笑ったりしていいから」という声を掛けてもらって、合格を確認した。やっぱりのめり込みますよ。演劇は全然自分のなかにない人物を描くのが面白いですね、と。

 そうなのである、全然自分と違う人物を演じるとはどういうことか。ここで「スタニスラフスキーへの道」(未知谷刊)を引っ張り出してきた。借り物の言葉だが許されたい。潜在意識に切り込んで演じるのだ。われわれは10%の意識機能しか使っていない、90%は潜在していて全く失われている。「人間は自分自身で創造する能力はない。唯一天才的な芸術家、それは自然である」。あなたの中にはこの世で誰とも似つかないあなたがあり、これはあなただけのものであり、あなただけの奇跡だ。誤解を恐れずにいえば、90%の潜在意識に迷い込み、分け入って、そこで創造的に自分を見出すのである。迷い込み、分け入るためにメソッドがあり、それを通じて身体、精神の限界を超えて、自分だけのリア王に会える。宇野重吉も、滝沢修も挑み続けて、演技を確立していったのだと思う。

 ゴールド・シアターのメンバーは一様にこうもいっている。日常生活のごたごたは無くならないけど、この演劇の回路だけは残しておきたい。半可通の演劇論だが、昨日の我とは違う我に出会うために、好きなセリフを見つけて演じ続けるのもいい。

 

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