「死について」

秋田の玉川温泉は癌の重症の人が、一縷の望みを抱いて集まる。街湯の岩盤浴で体験しているが、あの高温に包まれるとさすがの癌細胞も動きを止めてしまうのではと思う。歌人の春日井建もこの玉川温泉に出かけている。喉頭癌のため65歳で亡くなっているが、その玉川温泉でこんな歌を詠んでいるのだが、篠弘の解説を参考に鑑賞してみたい。愛読する「みやび」がこの4月にmyb新装第1号を刊行したが、その中で、篠弘が選ぶ50人の気になる一首を特集している。
<難民テントのごときテントに岩盤浴の一人となりてわれも臥すなり>と、オンドル小屋の場面だろうか、これでよいのだといい聞かせている。<失ひて何程の身ぞさは思へいのちの乞食は岩盤に伏す>と命の崖っぷちにある身をいとおしんでもいる。<スキンヘッドの少年は人とまじらはず黙然と脱ぐ岩盤のうへ>は、放射線療法の副作用で脱毛した少年の深い孤独感を茶化したような表現が妙に悲しい。<ラジウムを放射する石にしづむ湯が滾滾(こんこん)としてわれを迎ふる>では、自然から恩恵をうけようとする、いちずな渇望があらわれている。そして<噴泉のしぶきをくぐり翔ぶつばめ男がむせび泣くこともある>。岩盤浴の最中に目撃した燕を想起し、もはや自在に飛ぶ岩燕のような生命力のないことを知る。しかし、泣きつづけたとは詠まなかった。むせび泣くこともある、といなし、生来のダンディズムに拘泥している。
 4月19日昼過ぎに肺がんの友人を見舞った。近藤誠の言説を信じて、がん治療を拒否してきたがそろそろ限界のようだという連絡に応じた。がん発見からほぼ1年半、畑仕事にも精を出し、自分で好きな肴を調理し、晩酌も欠かさず楽しんでいた。恐らく最期の酌み交わす酒宴になろうと酒を持参したのだが、それを予測したように能作の錫製酒器がテーブルに並び、山菜のてんぷらがすぐに出された。ビールも飲み干すまではいかず、冷酒も舐めるような感じであるが、笑みがこぼれている。初めての出会いである付属中の野球部から始まり、最近の世相まで話題は尽きることもなく、料理を運ぶ奥さんは、十分幸せな人生だったがいね、と相槌を入れてくる。しきりに痰を気にする様子に、ほぼ2時間で切り上げ、また来るよと切り上げた。彼のこころを去来するものは何か、という思いもあったが、男のダンディズムが許さない。
 家に帰り着いて、亡き辻井喬の詩集「死について」(思潮社)を取り出してみた。そのあとがきにいう。私は病院のベッドの上で、玉砕し、あるいは無念の戦死をとげた若者の死顔は美しかっただろうか、としきりに考えていた。生物学的な死に私は興味がなかった。問題は、若者たちを死に赴かせた大義は間違っていても死顔が美しいかということだった。若者が信じた大義が荒唐無稽な国粋主義の産物だったにしても、信じるもののために死ねるならば死顔は美しくなるのかという問題の前で、私は立止まらざるを得なかったのだ。そしてこう結ぶ。これまで私はたくさんの人と一緒に仮装行列に参加してきたのだけれども、死を前提として行列を離れ、そこで執行猶予になり、どこへ行ったらいいのか分からないなかに置かれた。その状態を私は今までのように、有利な条件にすることができるのだろうか。その点でも私は執行猶予のなかに立たされているのだと思った。
 はてさて、老人の執行猶予もそう長くはないと思うのだが、いまさら大義を求めるわけにはいかない。かといって、日米同盟を高らかに謳う虚妄をこのまま放置するわけにはいかない。何かが問われている。

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