露の身ながら

「ぜひ、フィンランドに来てください。ホームコンサートを開きますから」。富山駅前の居酒屋であったが、結構盛り上がった。相手はピアニストの舘野泉さん。コンサートを終えての慰労だが、気取ったレストランより、居酒屋の方がいいという言葉に甘えた。厳寒の冬の方が旅費も安上がりだから、にその気になっていた。もう10年も前のことだろうか。そんな舘野さんのコンサートの案内が目に入った。何と左手だけの演奏会というではないか。
 2002年1月9日、脳溢血で倒れたのだ。フィンランド第2の都市タンペレでのコンサートの途中、突然右手の運びが遅れだし、左とのずれが大きくなり、曲の終わりには遂に左手のみになってしまった。立ち上がって、お辞儀をし、数歩歩いたところで床に崩れ落ちた。それから1年半、人に会うのも嫌だった。体力がまったくなく、両腕を拡げると、腕の付け根から皮膚がだらんとさがっていた。天干しされている烏賊みたいだ。舌がもつれて、口をきくのもままならない。そんな状態からの復活である。
 そしていまひとり。「食事のあとは痰と咳による苦しみが待っています。お腹がすいてグーグーいうほどひもじいのに、痰が胸のところに引っ掛かって、苦しくて食べられない。胸を切り開いてでもこの痰を取り除きたい。そう思いながら深夜までベッドを輾転反側したこともしばしばでした」。往復書簡「露の身ながら」(集英社)。左手だけでぽつんぽつんとワープロで打つ多田富雄さんの復活も凄まじい。歩くことも、食べることも、話すこともままならないのに、アインシュタインの相対性原理を扱った新作能「一石仙人」を書き上げ、いままた「原爆忌」にとりかかっている。この気力である。書簡の相手はシャイ・ドレーガー症候群という難病と格闘する柳沢桂子さんだ。免疫学者と遺伝学者のやりとりは示唆に富む。
 人間はDNA(ゲノム)の乗り物に過ぎない。利己的な遺伝子が、自己保存のために固体という使い捨ての生き物を利用しているだけ。したがって、個体の死は、その乗り物の耐用期限が切れたに過ぎない、といっているのが生物学者のドーキンス。これに対して多田さんは「私は逆だと思う。人間の方が、ゲノムという乗り物に乗ってこの世に現れ、ゲノムの持つあらゆる可能性を駆使して生き、死ぬときはゲノムを乗り捨ててこの世を去る。そう考えれば、利己的遺伝子を振り回されなくていいし、生きることに熱中できるのではないでしょうか。こんな体になっても生きることに変わりない。いやこうなったからこそ、生きるのに全力を尽くさなければならないと言い聞かせています」という。
 そして柳沢さんのこんな指摘もいい。「Y染色体の上に残虐性の遺伝子、領土争いの遺伝子、好戦的な遺伝子が乗っている」。シャロン、ブッシュ、金正日、そしてあなたの隣にもいるちょっとスケールの小さいY染色体たち。去勢してしまいたいものだが、生命そのものの大きな体系を壊しかねない。ここはやはり世論という免疫機能が必要になるようだ。
 多田さんのもうひとつの苦しみは排便。車椅子に乗ったままなので、腸が動かない。体幹が麻痺しているので腹圧がかからない。だから排便は、気がめいるほどの一大行事です。いきんで駄目なときは、妻に摘便してもらうほかない。その苦しいこと。そうかといって強い下剤を使えば、収拾のつかないことになる。
 食べて、歩けて、しゃべれて、快通なのに、この上何を望むことがあろうかと思うが、さりながらである。
「露の世は つゆの世ながら さりながら」小林一茶が生後1年余の長女さとを喪った時に詠んだ句である。
 試しに左手だけでやってみようとしたが、5分と続かなかった。

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