貸借対照表のように検査日直前だけ摂生するもの。または、結果がシロだと病院の検査能力を疑い、クロが多いと病院の営業政策ではないかと疑うもの。これがビジネス版「悪魔の辞典」による人間ドックの解釈だ。そんな人間ドックだが初めて受診することになった。
これからは自然治癒力にまかせる。がんの告知を受けても、身体にメスを入れない、抗がん剤を飲まない、放射線も浴びない。これが還暦を過ぎたわが信条。ところが、診療室からの退職直前人間ドックの勧めに素直に頷いてしまった。ちょっとした事で揺れるのである。死ぬことは怖くはないが、QOL(生活の質)が落ちるのが怖い、とひとり弁解している。生活の質といっても、経済的なことではない。アレである。わが敬愛する深作欣二が前立腺がん手術を拒否したあの理由だ。凡夫なればこその悩みであり、願望でもある。昨今のように健康のすべてを企業に奉仕するという風潮に、心底怒りがこみ上げてくる。薬の力を借りない、アレが可能な健康を企業から掠め取ってやる気概があっていい。効率のみに血走っている企業のどこに未来があるだろうか。
7月6日午前8時5分、指定された富山市医師会健康管理センターに出向いた。4月にオープンしたばかりで、ホテルばりの豪華さである。同医師会が15億円を投じて、独立採算を前提とした社団法人としている。対応が丁寧なのは、独立採算を意識し、こうした職員、看護師にも成果給が及んでいるからかもしれない。旧健康管理センターでは、いかにも官僚的で、施設が貧弱であった。新設とともに、県職員と同じ待遇であった職員、看護師の待遇が、これを機に見直されることになってしまった。利用率、民間の施設との競合、加えて償却などを考えると、かなり危険な代物に見えてくる。最近の傾向は健康も自己責任となり、会社負担は法的な検診以外は難しい。また、健康状態が会社に筒抜けになるのは大変なリスクである。プライバシーもさることながら、個人の成果報酬、昇進にも大きく影響し、リストラにも悪用されることになりかねない。
通常の半日検診に,肺がん等のスパイラルCTと前立腺のPSAを追加した。親友でもあるかかりつけ医の指示にしたがった。各検診部屋を流れるように渡り歩けば、あっという間に終わってしまう。終了の手続きの際に食事券が渡される。最上階の眺めのよい部屋が食堂になっており、和、洋、サンドイッチが選択できた。
最近の思考はワンパターンで、ここの経営をまかされたらどうするか、NPOでかかわるとしたら何ができるか。悪魔の辞典ではないが、同医師会の会員である医師の営業政策にも協力しなければならない。加えて厚生労働省の医療費抑制策が数値目標を設定して、本格化しようとしている。
この難しい方程式を解くカギはあるのか、と思い悩んでいると、その任ではないことがはっきりした。自然治癒力を信じるということは医薬が不要ということ。また60歳を過ぎたら、生活のために己が信条を曲げないことも誓っている。君子危うきに近寄らず、この周辺に自分の居場所がないということ。再び人間ドックに入ることはないだろう。健康産業の不健全経営というパラドックスに巻き込まれずに済んだということ。
こうして好奇心の余り、何にでも近づいていく男の危うさに気づいて、友人が送ってくれたのが「起業バカ」(光文社刊 1000円)。起業予備軍は130万人といわれるが、成功するのは1500人に1人、と必死に警告を発している。見込み違い、裏切り、ベンチャー支援の罠、フランチャイズ詐欺、下請けの悲哀などなどの厳しい現実をルポしている。著者の渡辺仁本人も地獄の悲惨をなめた一人である。
人間ドック