根なし草のような男がいろんな出会いを得て、しっかり地域に根差していく。計算づくではない、痛快なドラマを見る思いである。富山駅前の商業施設マル―トに「練り天屋」が6月末にオープンした。黒部市にある生地蒲鉾が、地元の道の駅で3年間温めてきた新しい試みを、ここぞと勝負に出たのである。オープンの記事が新聞の片隅に載っていた。10年以上は会っていないが、先日ぶらっと「練り天屋」に立ち寄ってみた。昔と変わらぬ人懐っこい顔つきで、元気そうですねと迎えてくれた。30歳年下の生地蒲鉾代表取締役の彼だった。
北海道大学を出て、山一證券富山支店に配属となっていたが、1997年山一が廃業となって、入社即失業という洗礼を浴びた。職安は山一証券で退職を余儀なくされた職員を優先して採用してほしいという通達が出していた。それもあり、面白いケースとあって、北日本新聞社が彼の採用を決めた。広告職場に配属された。異色の入社経緯もあり、よく観察していたが、軽い感じで、若者同士でよく呑みに出かけていた。1年過ぎた頃だったか、飲み屋で知り合い、付き合っていた彼女と結婚することになった。その条件が婿入りすることだった。彼はためらうことなく、彼女の生地蒲鉾を選んだ。更に大阪の大手蒲鉾店に半年余り、修行に行くことも条件だった。休みもない練りもの職場に彼は耐えた。そして、然るべき技術も身に着けたのだろう。生地蒲鉾は宇奈月温泉旅館を得意先として、堅実な経営をしており、資産蓄積もそれなりにあった。何よりも子供をふたり得て、婿養子の難関を通過している。地元の昆布店、酒蔵店などと道の駅事業にも取り組み、何よりも外国人労働力の確保などで存在感を発揮している。代表取締役の拝命は婿養子合格の証しである。
もうひとつ。彼は石川県出身であるが、故郷や親兄弟の話は聞いたことがない。いまにして思えば、体一丁で勝負している潔さを身に着けている。
つくづく思うのは、今の時代となり、終身雇用はほぼ期待できなくなったが、ある面いいことではないかと思う。彼が新聞社に残っていたら、やっかいものになっていたことは間違いない。広告媒体の価値は落ち切っている。
思いおこすのは「一身にして二生を経る」ということ。営業とは無縁な男が、3年辛抱してトップセールスマンとなり、自分とは何だったのかと思っている。80歳となったが、まだ二生に挑戦してみたい気がする。