どうしても見ておきたい男、作家・車谷長吉

どうしても見ておきたい男がいる。芥川賞作家、車谷長吉。55歳。文体がいい。文章のリズム、言語感覚など、いわば相性がいいのである。作家とその読み手。見えないところでやはり緊張が走る。この男どれほどのものか、と。もちろん彼我の実力差は雲泥のもの。私と同年だから、物理的には同じ時間を生きているのに、悔しい限りである。ひょんな事から、日本近代文学館が「夏の文学教室」を東京・読売ホ-ルで開くことを知る。その講師陣に彼の名を見つけた。タイトルが「森鴎外・高瀬舟」。これはなにをさて置いてもと出かけた。読売ホールも36年ぶり。有楽町そごうの6階。そごうの閉鎖が決まっているのでこれが最後だろう、との思いも重なる。大学に入って初めて演劇なるものを見たところ。それもどういうわけか年上の文学部露文の彼女と。劇団・雲による「罪と罰」。その懐かしさもあり、何かの因縁と妙に納得した気持ちに。 当日は新幹線が事故で、危うく講演開始に送れるところだったが滑り込む。小さな布袋を手にひょいひょいと登壇。意外に小柄だ。着古した黒のポロシャツに綿パン姿。彼の住む千駄木の路地を歩く普段着そのままの登場である。講演は大の苦手と開口一番。ガンとも宣告された胃潰瘍と、強迫神経症を宿命的な持病として持ち、作家ほど苦しい職業はない、と。平成10年芥川賞を受賞した作品「赤目四十八滝心中」を書き終えた時、廊下の路地が波打って見え、疲労困ぱいふらふらの状態。普通だったら脱稿してほっとするところだが、そうは行かないのが車谷の感覚。それ以来神経科医との付き合いが続く。作家への動機は、兵庫は飾磨高校3年の時。同級生が「殺人を犯しても罪になる、ならない」で言い早熟なる同級生の争う声。森鴎外の、兄が弟を安楽死させる「高瀬舟」についてのもの。そういった問題意識についていけなかったのである。早速、文庫で求めて、ひきこまれて一気に読み終えた。このことはいまも忘れない。この事があって、弁護士を目指しての法学部志望が文学部に。慶応大学ではほとんど授業に出ず、図書館に。森鴎外全集はもちろん、あらゆるジャンルの文学書を読破。25歳で作家を目指してから苦節20余年での受賞。その間職業を転々、筆を折っての日々も。そしてこの車谷に直木賞を一番に知らせたのが、柏原兵三の長男、光太郎。文芸春秋「オール読み物」の編集部勤務。

生きていく伴走者として彼の作品に注目していきたい。

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