「小生78歳。12年前に妻を亡くし、3回忌を過ぎる頃までは、菩提をとむらって宗教関係の活動をして精進をいたしておりました。しかし、煩悩絶ちがたく、そのうちフト知り合った女性とお互いに回春を求める仲となりました。パートナーも私と同じ同年齢の78歳ひとり身です」「心のつながりとスキンシップの温もりで5年間続いてまいりましたが、体力精力の衰えはどうしようもなく焦りの境地です。種々の精力剤も試してみましたが効果なく、‘夢よもう一度’の気持ちが募る毎日云々」
同時多発テロ、報復のアフガン出撃、炭そ菌バイオテロ、狂牛病とこれだけ続くと、見識の覚束ないものにとって新聞を読むのがひたすら苦痛に思えてくる。そして飛び込んできた夏の虫がこのページ。毎日新聞10月17日付け「らぶらぶノート」。わが宅急便読者層にピタリの話題。ノンフィクション作家・門野晴子の編集。介護福祉などその筋では有名な方。快女、女傑に分類される。不確かな記憶だが、高校生の娘のボーイフレンドを自宅で同棲させた。隠れてされるよりこの方がよいという、さっぱり、きっぱりの明快な人。
今回の講師はこの門野女史に加えて、作家・松本侑子。松本女史は「別れの美学」性の美学」などこれまたその筋では大変な人。自分の体は自分で知るべきと、鏡を下にして素っ裸でひっくり返って自分のものを確認したという、これまた怪女。痔持ちの方ならこの格好は想像可能。
さてこの切々たるおじいさんの訴えに、「男ってアホやねえ。大きくて強い男らしさ」という男の価値観に首をしめられているだけ。女の都合を聞いたことがあるの?まだ子供を作る気なの?と一刀両断。老いの性は男も女も優しい触れ合いに意識革命しない限り、男は辛くなるばかりだし、女もつまらない。老いたメリットはオトコが、自信がなくなることで、やっと男女が対等に向き合えるんだからネ。
さて松本女史。1963年生まれ。正真正銘のフェミニストを任じるだけに年齢を隠さない。人の生き方や道徳が、性別によって左右されない社会を目指す人なのだ。自分の初めてのセックスもあっけらかん。比較しないとわからないこともある、と女性の性欲肯定の解放派。旧世代の価値をひきずらない。あまり意味もないが独身らしい。性を男だけのものから、男と女の自立した人格同士の二人のものに、という強い使命感が感じ取れる。「性の美学」は中年男が読むべきもの。
それにしても、われら中年派の性知識は、何と貧困にして非科学的であったことか。誰に教わるわけでもなかった。ものごころついた頃にセピア色のポルノ写真を眺め、奈良林祥の「HOW TO SEX」を密かに書棚の裏に隠し、やはり男かくあるべしを身上としてきた。同世代の女性達よ、随分と申し訳ないことをしてきた。許されよ。
しかしその女性達よ、根拠のない純潔思想に何ら抗する事もせず、解放の理論をまるで邪教だと耳をふさぎ、その純潔を捧げたからその代償に結婚をいい、妻という名のもとに男の誠実さを過度に求め、その座に安住した罪も感じてほしい。胸に手を当てれば、時に同性を裏切ることもあったのでは。いい立てられるほどの資格はもちろんないが、謙虚に反省してもらうところは反省してもらいたい。双方に反省がないと物事は進まない。
その深い反省にたって、夢のある建設的な話を。幸いにしてというか、生殖という性から解放されたのだから、双方で贖罪のための性解放区をどうだろう。もちろん、お互いがそれぞれに責任を持ってのこと。このまま終わっていいものだろうか。否終わらせては死んでも死にきれない。もう一度男を磨き、女を磨いて、最後の花を咲かせましょう。
心底見えたり、という声も聞こえるが、それでは寂しすぎはしないだろうか。78歳にしてのあの焦りをもう一度考えてみるべきでは。
というわけで、アフガンの壮絶さとは隔絶したノウテンキなものになってしまった。ブッシュさん、申し訳ない。
「みんな違って、みんないい」のよ。金子みすずさん、ありがとう。
このドギマギ、精神分裂、許されよ。