新国立劇場。井上ひさし「紙屋町さくらホテル」

3時間10分。井上ひさしに翻弄され、まるで魔術にかかったようだった。しばしこの余韻をどうしたものか、誰にも話し掛けてほしくない、壊してほしくない気分であった。

「俳優というのはね、人間の中でも宝石のような人しかなれないのだよ。なぜなら、心が宝石のようにきれいで、ピカピカに輝いている者でない限り、素直に人の心のなかに入っていって、その人そのものになりきることができないからね」。

その通り、宮本信子が宝石の如く舞台狭しと小さな身体を踊らせていた。こんなにいい役といい台詞をいただき幸せ、と表情が語っている。大滝秀治、井川比佐志、三田和代など演じているものみな井上マジックにかかっているように恍惚と。物語は重曹、いや三層、四層からなり、虚実ないまぜといってもほぼ史実に沿って、笑いの中に厳しい歴史検証があり、娯楽の中に言語への強いこだわりがあったりで、縦横無尽に才気がほとばしり、演劇の可能性のすべてを満たしていた。

昭和20年初冬。東京巣鴨プリズンに「自分はA級戦犯だ」と自首する初老の男。元台湾総督にして海軍大将、天皇の密使という歴史秘話を持つ。応対したのは元陸軍中佐にして、堪能な英語力と戦前の経歴を買われて今やGHQで働いている男。この二人のやりとりがこうだ。
「陛下は、それまでの本土決戦をお捨てあそばして、ソ連を仲立ちにした和平策を御採用になった。だが、その和平工作がまるで前に進まない」「大日本帝国憲法第1条。どのような和平工作を結ぶのであれ、これだけは死守しなければなりませんからね。」「皇室の安泰と、その皇室による国体の護持だな。」「それだけはどうでも連合国側に認めさせなければならない。時間が掛かって当然でしょう。」「大日本帝国憲法第1条にこだわっている間に、何が起こったか。」「沖縄の守備隊が全滅した。連日の空襲と艦砲射撃によって、我が国の都会の3分の1が壊滅した。そして広島があった」。昭和20年7月26日がポッダム宣言、それから8月15日の受諾、無条件降伏までの21日間。その間に40万人もの日本人の命が奪われている。エピローグでの戦争責任論争は白眉であった。

「もしやきみはー」で舞台は昭和20年5月の広島に。紙屋町ホテル。そこに逗留するのが丸山定夫率いる移動演劇隊「さくら隊」。漢字とカタカナの間に平仮名を入れて「紙屋町さくらホテル」と改名。ことば遊び。演ずる役者が足りず、たまたま居合わせたこの軍人二人も狩り出される。演しものは「無法松の一生」。この丸山の演劇指導を通して日本演劇の歴史をさらりとおさらい。築地小劇場の初期。小山内薫、の演出法、新劇の歴史、そして滝沢修、東山千栄子の演劇へのひたむきさが語られる。

アメリカ籍を持つこのホテルの日系2世の女性オーナー、彼女にスパイ容疑で張り付く特高刑事、宿泊客で方言研究の文学博士。彼らが劇の魅力の前に虜になって、建て前だけでは生きられぬ人間の本音をさらけだしていく。しかし、誰も来るべく8月6日をつゆしらない。現役の演劇人が劇団単位で被爆した唯一の例である。これは事実。そしてこの劇も原爆戯曲のひとつとして数えてもいい。

東京・初台に新国立劇場ができたのが97年
10月、その落としがこの初演。この劇場の
芸術監督でもあった渡辺浩子の演出。彼女はこの演出に精魂を使い果たし98年6月に急逝している。あまりの好評に再演が決定。井上ひさしが演出を買って出ている。4月のほぼ1ヶ月興行。

小生が見たのは最終日の4月25日。隣にゲーム不況でリストラされた自称ゲームクリエーターの次男が座った。中年向けに「ひさし」流のゲームを作ればとの親馬鹿メッセージ。届いたであろうか。 

演劇なるものを初めてみたのは、大学の2年の時。露文科の友達に誘われての劇団『雲』の『罪と罰』。乏しい経験だが、わが演劇ベストスリーを挙げれば、鈴木忠志の『トロイアの女』、木下順二の『子午線の祀り』とこの『紙屋町さくらホテル』となる。

© 2024 ゆずりは通信