裏世界とは縁はないが、怖いもの見たさがある。親戚の娘が立命館大学に入学するので、その下宿探しを頼まれた。二つ返事で引き受け、久しぶりの京都。だが、裏世界といえばここ京都である。観光で見せる街の顔とは全く違うもので、オモテからは決して見えない闇世界でもある。そんな京都に出会ったのは81~82年のこと。当時新聞労連の中執(中央執行委員)なるポストに就いていた。町内会役員みたいに順番にこなすような感覚で、望んでやっていたわけではない。その任期中に、京都新聞労働争議が起きた。暴力剥き出しの労務屋がコンサルとしてはいり、賃金の切り下げなどを強行するもの。支援オルグと称して、ほぼ毎月動員がかかった。2年間に15回は越えていた。遠くに祇園囃子を聴きながら、ビラ配り、デモ、職場討議を行うのだが、暖簾に腕押しのような感じであった。構図が全く読めていなかったこともあるのだが、影のようなものは薄々感じていた。それが25年を経て、初めてイトマン事件に連なる大きな疑獄連鎖の端緒であることがわかった。「許永中 日本の闇を背負い続けた男」(講談社 森勲著)を列車の中で飛ばし読んでのことだ。
京都新聞の当時の社長は白石古京で、創業2代目。放送会社KBS京都など京都新聞グループを築き挙げ、京都名誉市民でもある。その後継となったのが嫡男・英司で、このぼんくらが不動産事業などの子会社を次々に設立、ことごとく失敗する。簿外債務は98億円に達していた。その英司が急逝し、英司の右腕だった男がKBS京都の社長に就任したことから、創業家を代表する未亡人との主導権争いが起きる。その両方がすがったのが闇勢力。すがった先は違っていても、闇世界は繋がっていて、いいようにもてあそばれた。在日2世で、闇の帝王・許永中がイトマン事件、更に石橋産業手形詐取事件へと、その暗躍を広げるきっかけ作りの舞台となっていた。京都には在日、同和という被差別社会を背景に暴力団がうごめきやすい土壌があり、それを千年以上にわたって朝廷を巡る権謀術数が利用してきたという闇の権力構造が出来上がっているといっていい。
富山も決して無縁ではなかった。富山空港に向かう道路の左側に、ちょっと違和感のある結婚式場がある。インペリアルウィング富山迎賓館で、現在ベルコが運営している。この式場オープンに際して、関係者を招いたパーティが開かれた。この時あいさつした男が地上げのプロと異名をとった伊藤寿永光。自家用ジェット機で乗り付け、終われば名古屋だといって驚かせた。ふと手を見ると、小指がなかった。住友銀行元頭取磯田一郎が、この伊藤を頼りにした。イトマン事件の構図は、勢力拡大に走る住友銀行が東京に多数支店網を持つ平和相互銀行の吸収合併を画策し、その別働隊となって動いたのがイトマンだった。常識では考えられない滅茶苦茶な手法で、闇に消えた資金は3,000億円にのぼるといわれている。時価2億円の金屏風が40億円で買い取られ、それに介在した竹下元首相の秘書青木伊平が89年に自殺している。許永中、伊藤寿永光などを踊らせたのがイトマンの社長であった河村良彦、東邦生命社長の太田清蔵で、彼らを取り巻く政治家、ゼネコン、暴力団がひしめいての剥き出しの欲望劇が、事件の本質である。
期せずして朝刊は、京都新聞販売局社員・白石京大の覚醒剤所持での逮捕を報じている。古京の孫である。創業家にしてこんな結末が待っていたということか。
新湊の同窓で、プリマハムに中卒後集団就職した男が京都の暴力団幹部になっているとの噂を聞いたこともある。京セラ、村田製作所、任天堂、ワコール、日本電産などの有力企業を輩出している土壌とどう相容れるのか。不思議な街である。
親戚の娘がはいる下宿は、元高島屋百貨店の女子寮を改装したもので190余室を有する立命館の女子専用。家賃38,000円、共益費6,000円である。教育費の問題も、この際に論議しておかねばならならないのだが。
闇社会・京都の影