その人の右手首には黒ラベルのタッグが巻きつけられていたはずである。4月25日午前9時過ぎ、その人は大阪の病院に持病の治療に出かけるといって乗り合わせたのがあの列車だった。胸騒ぎがした奥さんは、まず大阪の病院に確認した。来院していないという。JR西日本に電話で問い合わせても全くわからない状態。動転して息子に連絡、彼に任せることにした。しかし、病院にも、遺体収容所にも全く情報がはいっていなかった。翌日になって、死亡の連絡がはいった。脳挫傷の即死で、胸ポケットの通院カードからすぐに身元が特定できた。しかし遺体との面会をめぐって、検死まで待ってほしいという不慣れ、指示待ちのJR担当者とイライラする対応が続き、奥さんの神経を逆なでした。
近所に住む知人の奥さんの弟さんがその人。定年を迎えて夫婦二人穏やかな日々を過ごそうとしていた矢先の出来事だった。駆けつけた知人も掛ける言葉がなかった。JR西日本から若い2人が専属で張り付いたが、家に入れるわけにもいかず、屋外で待機している。用事があれば連絡するから引き取ってほしいというが、会社命令だからと動かない。弔慰金を届けた専務なるものの態度も極めて事務的だった。ちなみに金額は規程だからと30万円。
JR西日本糾弾は他に譲るとして、黒のタッグである。医療用語でトリアージタッグという。事故に先立つ3月29日、富田勝郎金沢大学医学部教授の講演を聴く機会があり、トリアージがわが手帳にメモされていた。富田教授は整形外科医で、不可能とされた腫瘍脊椎の全摘手術法を開発、アメリカでその手術講習を行い、帰国直後であった。
大災害事故が起きた時、緊急度や重症度に応じて多数の傷病者に適切な処置や搬送を行うために、真っ先に治療優先順位を決定する。それがトリアージ。フランス語のtrierが語源で、良いものだけを選別するという意味。ナポレオン時代に傷ついた多くの戦傷者のなかから比較的軽傷者を手当して戦線に復帰させ、重傷者は後回しにするという戦略的手法として用いられ、医学的にトリアージの概念が確立されたのは第一次世界大戦後である。トリアージタッグというのは、その際の識別票で、縦23センチ、横が11センチだから割と大きい。ミシン目がついた色別ラベルがついている。赤、黄、緑、黒で治療優先順位を表し、黒は生命兆候のない死亡である。赤は緊急治療を施すよう最優先され、黒はその場で放置される。ゴム輪がついており、傷病者の手首に巻きつける。3枚つづりで1枚は災害現場用、2枚目は搬送機関用、3枚目本体は収容医療機関用だ。トリアージをおこなうのは必ずしも医師である必要はなく、救急隊長、救急救命士、婦長、主任看護婦などでも可能。災害初期の救助段階では1分遅れると死者が1人増え、1分速ければ1人多く助かるといわれる緊迫の状況での作業となる。今回の事故では、尼崎消防署の救急隊長が真っ先に行った。
黒ラベルを手に巻いたその人の遺体収容が遅れたのは、そんな事情からである。10年前の関西大地震の教訓が生かされていたともいえる。こうしたトリアージの実践訓練は全国的にも行われているのであろうか。
富田教授の講演と重ね合わせると、整形外科医はじめ多くの医療従事者の献身的な貢献には頭はさがるが、日本の医療の行く末は甚だ心もとない。医学部を卒業して研修にはいるが、研修医の希望する専門は体力、集中力、高度な診断力などが求められる脳、心臓など外科が敬遠されており、勤務地も都会地中心となっているらしい。また、国立大学の法人化が医学部への基礎研究、先端研究への予算大幅カットに拍車をかけているともいう。
そういえば、見えないトリアージタッグが企業内で、家庭内で、介護施設内でとりつけられているのではないだろうか。そっと右腕をさすってみると、黒ラベルが透けて見えてくるようだ。今夜はうっぷん晴らしにサッポロ黒ラベルを飲むことにしよう。
トリアージ