これからどうなる。これからどうする。コロナはそう迫っている。「希望は戦争」といい放った非正規のフリーライター・赤木智弘を思い起こす。戦争が起きれば、既存の価値観がなくなって、非正規も正規もチャラになってもう1回チャンスが回ってくるのではという思い。コロナはひょっとして戦争で、従来発想とは全く違う社会を生み出す可能性を秘めている。もちろん危険性でもあるのだが、今回は特に雇用の視点から考えてみたい。
雇用とは企業との契約で成り立つ。問題は企業という組織が持つ、どうしようもないおぞましさだ。同調圧力や理不尽な権力支配に、逆らわず長いものに巻かれろという奴隷根性が結びつく。「個人を幸福にしない日本の組織」の著者・太田肇は警鐘を鳴らし続けている。コロナが生み出した雇用危機だが、覚悟を決めて個人が尊重される新しい働き方を模索してもいいのではないだろうか。
格好のお手本がある。フリーライターの工藤律子がスペインに取材したルポ「雇用なしで生きる」(岩波書店)。2011年5月15日、30%を超える失業率に悩むマドリード市民のデモから起こった。それはデモだけに終わらず、市民の対話が続いた。その中から有機野菜農家が国の認定を得る費用が払えず販路が確保できないと訴えると、ミニマーケットを自分らで作ろうとなった。すぐに俺はこんな商品で売りたいと続き、こんなサービスがほしいに応えて、そのサービスの提供者が現れた。失業をハローワークに頼らず、地域ネットワークを生かして雇用なしでやっていこうという試みである。こうして市民運動は広がり15Mと呼ばれ、これを支える市民政党ポデモス(私たちはできる)が2大政党の向こうを張って生まれた。「国家だけでなく、世界全体で人々に最低限の権利と社会生活を保障できるような、広範なコミュニティ意識を育てることが、世界を救う鍵になる」。あのカタロニア讃歌が生まれたスペインである。
さて、雇用契約ではない働き方とは、フリーランスであり個人事業主だが、政府は70歳まで雇用を継続する努力義務を新たに課した。その中で雇用に代えて、創業支援措置でもよいとしている。いわば個人事業主としての委託契約。これまでの仕事の延長であれば、おぞましい結果となることは間違いない。そこで企業はその事業内容の周辺で、市民運動と連携することを義務付けて、最悪な事態を避けることができるのではないか。
既に企業でも動きがある。体重計のタニタが現役社員と業務委託契約を結んで、雇用契約を解消し、個人事業主として契約、既に26人がこれに応じて独立している。タニタの社長の思いだが、仕事をさせられるという受け身ではなく、自発的な意欲と雇用に拘束されない自由さがほんとうの仕事を創造し、伸ばしていくとけれんみはない。
わがブログに再三登場している移動スーパー「とくし丸」も富山最大のスーパー・アルビスが今秋から本格導入する。これも個人事業主として約360万程度の小型販売車をとくし丸本部から購入して、アルビスと販売契約を結ぶ。アルビスから見れば、ライバル大阪屋との実店舗での出店競争から、コストのかからない移動スーパーでの販売で先手を打っていこうということ。これこそ市民運動との連携を模索してほしい。
雇用なしで生きるというのも玉石混交で、生易しいものではない。しかし雇用にこだわるあまり奴隷的な労働を受けざるを得ないとすれば、歴史の後退にしかみえない。工藤律子があとがきでこう誓っている。「自由で尊厳あるフリーランスであるために、闘い続けたい」
さあ、コロナ禍を転じて、新しい試みをはじめよう。生活給付金はそのために使いたい。