今年の盛夏のことである。その男はいつものように富山は生地の浜に散歩に出かけた。周りに誰も居ないことを確かめて、海に向って大声で雄叫びをあげることにしている。何と叫ぶのか、と聞いたが、そこまでは教えてくれない。その日は叫び終った後で、喉の奥に何か違和感が残った。それから3か月過ぎた10月末、月に1度は通っている鍼灸院に出かけた。女性の鍼灸師で、膝痛を直してくれたのが縁で信頼している。その日、診察をする彼女の表情が急に険しくなった。喉がおかしいから、すぐに病院に行ってほしいという。
駆けつけた黒部市民病院の医師は、内視鏡で撮影した声帯の画像を指しながら、「よく見てください。ポリープができていますね、悪性かどうか検査した上で、切除しましょう」といい、全身麻酔ですから、家族も集まって欲しいと付け加えた。本人の脳裏に浮かんだのは喉頭がんだ。声を失う、食事も口から摂取できないなどなど最悪のケースが次々と浮かぶ。家族も驚いた。しかし、11月1日無事切除し終えた。
そんな経過を知ったのは、こんなことからである。退職後にゴルフを始めた神奈川在住の男から、富山でゴルフをやりたいと連絡が入った。それでは、と生地の男に誘いの電話をしたところ、喉の検査があるから、その後に返事をするという。3人とも高校・大学と同じである。その返事だが「いやあ、ちょっとまずいことになったから、やめるわ。その内にまた連絡するから、ごめん」というもの。こちらから連絡をするわけにもいかず、やきもきし、ついこちらも最悪のケースを考えていた。
11月25日、魚津にりんごを買いに行くことを思いつき、彼の事務所を訪ねることにした。20年前から同地でショッピングセンターを運営している。ノックをすると、聞き慣れた声で、どうぞという。70歳近くなった男の距離感というのもややこしいが、会えば、どうということもない。冒頭の様子を話ながら、非科学的なことも付け加える。声帯ポリープは、免疫の弱っているところに突然大声を出して、細胞に異変を起こり、3か月を経てポリープをなったのだという。もっと長期間要するのではと思ったが、ここは素直に聞くことにした。
前置きが長くなったが、きょうのポイントは鍼灸師が彼の異変を察知したということだ。神奈川在住の男も、かかりつけ医は鍼灸師であり、現役の時から椎間板ヘルニアをこの鍼灸師のお陰で乗り切ってきた。いまでは家族全員が、この鍼灸師を頼りにしている。自覚症状のない声帯ポリープを触診だけで探り出すのだから、これを西洋近代医学でやれるかといえば、とても覚束ない。体全体をつながりで診る鍼灸の存在はもっと評価されていい。
わが幼馴染に矢野忠がいる。彼はいま明治国際医療大学(元・明治鍼灸大学)の大学院教授となっているが、新湊小学校の同級生である。彼の弟子は全国にいるのだが、富山にも多く心強い。この7月に大阪で呑んだ時に、鍼灸資格が専門学校でも取れるようになり、ニーズを大きく超えて多くが開業することになり、やっていけない鍼灸師が増えて頭を抱えているという。困窮した鍼灸師が落ち着いてヒトを診られるのかとなり、このままでは鍼灸そのものが世に認められず、衰退していくのではないかという危機意識である。
実をいうと亡妻の肺がんを最初に怪しんだのは、富山駅近くの滝上鍼灸師であった。デジタルの西洋医学に対して、アナログの東洋医学というところだが、高齢化社会での医療費高騰対策としてももっと見直されていいと思う。
はてさて、あの生地の男は海に向かって何と叫んだのだろうか。「バカヤロー!」だけは確かだが・・・
かかりつけ医は鍼灸師