リタイアした夫婦だが、持て余す時間を野菜づくりに精魂傾けている。勝負の舞台は、農協直営の直売所というマーケット。野菜の見栄え、値付けの絶妙さで、売れ残りゼロを目指す。夕暮れ時に知らされる売り上げに一喜一憂している。農協の手数料は2割で、10日後に振り込まれる。奥さんは通帳に記された額を見て、してやったりとますますファイトを掻き立てる。やる気、働き甲斐は現役時代の比ではない。小商いコミュニティ資本主義は、夫婦に最上の働き方をもたらしている。
生産者は市場で競い合い、消費者は複数の選択肢を前に選び取る。この市場選好性こそ、資本主義の肝だと信じさせられてきた。計画経済ではこうはいかない。古典的な社会主義像に従えば、農協がすべて買い上げて、地域住民に家族数に応じて分け与える配給制度となる。好き嫌いなどとんでもない。この夫婦は必要最小限のものだけを、品質などに関心など払わずに出荷する。受け取る方も、こんなものかと品定めすることもない。食べられるだけで十分だろうとなる。ソ連崩壊の元凶となり、社会主義は誰も唱えなくなった。
そんな理解のところに、新しい資本主義なるものが登場してきた。市場に任せればすべてうまくいくという老人の牧歌的な妄想を打ち砕いている。デジタルプラットフォームと称して、すべての売買行動や、その資金の流れがデータとして集められ、それを解析するアルゴリズムによって行動予測がなされる。アルゴリズムはデータが多ければ多いほど精度と質が高くなる。つまり市場そのものが、データを支配するものに支配されるという現象で、不敗の王者が君臨している市場ということになっている。
例えるならば、あの直売所がこんな風に変わる。あなたの作った野菜は、もう買う人が決まっているから、ウーバーなる配達が運ぶ。つまり直売所はコンピューターに代わり、絶妙の値付けも不要ということ。多分、オイシックス・ラ・大地に置き換わってしまうのかもしれない。
レント資本主義と聞いて、そんな時代なのかと実感した。自動車や家電の製造業だけでなく、教育・医療・介護などのケアワークまで、あらゆる領域でデータ収集が行われ、産業構造の再編が進行している。独占したデータをAIが読み解き、生産条件の独占によって取得可能な収益を巻き上げていく徴収体制をレントと呼ぶ。つまりプラットフォーム、ビッグデータ、アルゴリズムの独占によって、手数料や使用料を巻き挙げていくのがレント。その典型がGAFAなどのデジタル巨大企業といえる。この勝者たる企業の弱点が当分見えないとすれば、その肥大化は留まることを知らない。
もうひとつ、新しい資本主義は「ブルシット・ジョブ」と呼ぶ、クソどうでもいい仕事の存在とその増大を挙げている。膨大に膨れ上がった利益を分配する広告代理店や人材派遣会社を指しているが、時に用心棒的な弁護士やコンサルタントも入る。
資本主義をいびつな形ででも残さざるを得ないと考えると、国家間格差、産業間格差、企業間格差、個人間格差は広がるばかりである。大きな舞台回しが必要なことは明白であるが、キシダには無理であろう。わが取り敢えず主義からいえば、小商いコミュニティ資本主義をそれぞれ生み出していくのも、取り敢えずの選択肢だ。介護直売所も、教育直売所もあっていい。