桜満開ということで4月6日、富山県立図書館まで歩き、新刊書コーナーに並んでいた「100年かけてやる仕事」(プレジデント社)を手に取り、裏手の公園前にあるコンビニで弁当とお茶を買った。ひとり花見である。誰もいない四阿(あずまや)に腰を下ろし、焙った鮭から手を付けた。多分、何とも孤独な老人に見えていることは間違いない。東京で初めてひとり下宿した18歳の時は、人恋しさの余り新宿の雑踏に紛れ込んだりしていたが、孤独がきりきりと身を苛む思いがした。あれから50余年、誰にも煩わされない自由を手にしている。老いて手に入れた無名にして無所属。柔らかく、ゆたかな孤独ということでもある。やおら食べ終えて、ページを開くと、副題にある「中世ラテン語の辞書を編む」という壮大な試みを取材した小倉孝保の筆勢に、気持ちも高まった。彼は毎日新聞のロンドン欧州総局勤務の時に、この着想を得ている。
「中世ラテン語辞書プロジェクト、100年かけてついに完了」という英字紙の見出しに驚いた。100年もかけて辞書をつくり上げた人たちはいったいどんな人たちだったのか。そもそも、なぜ現代のイギリス人に新しいラテン語の辞書が必要なのか。中世ラテン語とはどんな言語で、英国の文化や社会にどんな影響を与えたのか。なぜ、それほどまで時間をかけても英国人はこの辞書をつくったのか。そんな好奇心を十分に満たしてくれる取材相手を得て、たっぷりの資料を手にして帰国した。
ロンドンでのゆっくりした時間の流れから、まるで奔流のように時間に追い立てられる日本での編集業務。そんな疲労が極限になろうとした時にふと、辞書をつくった人々について書きたいとの気持ちが湧きあがった。速いこと、新しいことにこそ意味があると、デジタル社会では、仕事は秒単位で進んでいる。スピード重視、効率最優先、市場原理主義。そういう世界に身を置きながら、疑問が膨らんでいく。そうした生き方、働き方は果たして人間を幸せにするのだろうか。「神は完成を急がない」。アントニオ・ガウディの言葉だが、この言葉に倣えば、ラテン語の辞書をつくった人たちは、「神に近づいた人たち」である。ちなみにこの辞書の価格は690ポンド、ほぼ12万円である。どれだけ売っても100年間の製作費用は回収できるはずがない。
英語を知るにはラテン語は欠かせない。英国は、欧州大陸のキリスト教やラテン語の文化圏からの自立化を何世紀にもわたって図ってきた。この辞書編纂もそんな動きの一環といえる。英国のEU離脱もその流れといっていい。さて、日本語を深く理解するにも漢文が欠かせない。旧制高校のように漢文を必須科目にせよという声もある。古典がいま必要と考えるひとりが糸井重里で「ほぼ日学校」を発案し、最初にシェイクスピアを選んでいる。
さて、しばらく桜を眺めているかという時にメールが飛び込んできた。阿部信吉君の訃報である。新湊・新富町にあった引揚者住宅以来の幼友達で、同じ託児所に通い、夏には毎日庄川で泳いでいた。4~5歳の時であり、よく溺死しなかったと思う。絵が得意で、高岡の富士薬品工業に勤めていたが、社長の竹田雄一郎氏の理解もあり、テンペラ画でプロ絵描きとして独立した。加えて、大学同期のウメケン社長の応援もあって、砺波の古民家を改築してアトリエとしていた。総理大臣賞を受賞した時のパーティでスピーチをさせてもらった。寂しい風が吹き抜けていく。さまざまの事おもひ出す桜かな(芭蕉)。